野干

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やかん


画題

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解説

東洋画題綜覧

の異名である、『霊異記』には「女云々成野干云々随夫語而来寝、故為岐都祢也」と記し、又『今昔物語』には「為救野干写死法花人語」の項がある、此の『今昔物語』の野干物語を図したものに森村宜稲の作がある。(第七回帝展出品)

野干を狐と申し侍りしは、その事の起りは美濃の国に侍りし人、顔よき妻をもとむとて物へまゐりしに、野中にて女にあひ侍りにき、この男かたらひよりて、「わが妻になりなむや」といひき、此の女「いかにものたまはむにしたがふべし」といひしかば、相具して家にかへりてすみしほどに、男子一人うみ侍りき、かくて年月をすぐしけるが、家に飼ひける犬の侍りしかば、十二月十五日に子を生みけり、その犬すこしおとなびけるに此の妻女を見るたびに、ほえしかば、かの妻いみじくおぢてこれを殺してたべといひしかども夫きかざりき、この妻女、米しらぐる女どもに物くはせむとて、碓の屋に入りにき、その時この犬はしりきて、妻女をくはむとす、妻女おどろきおそれ、えたへずして野干になりて籬のうへにのぼりてをり、男これを見てあさましと思ひながら「汝とわれとが中に、子すでに出できたり、われ汝を忘るべからず、つねに来てねよ」といひしかば、その後も常に来りてねたりしなり、さてこそきつねと申しそめしなり。  (水鏡―欽明天皇の条)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)