重盛諫言
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しげもりかんげん
画題
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解説
画題辞典
しげもりかんげん
治承元年藤原成親等の平家討滅を企て、事洩るゝや、平清盛恚怒已まず、後白河法皇を別宮に幽し、参らせんとて、大に子弟臣僚を召す、重盛小松殿に於て此報を得、急ぎ車を飛ばせて父清盛が西八条殿に候す、一門の卿相皆思い々々に鎧着て中門の廊に著座し、入道相国清盛は赤地錦の直垂に黒糸絨の腹巻してあり、重盛独り烏帽子直衣、大紋の指貫して静に車を出でければ、入道も流石に面はゆく、急ぎ腹巻の上に素絹の法衣を著け之を迎へたり、重盛垂泣して君恩の重きを説き、言を尽くして不忠暴横を切諫し、忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず、進退已に谷まりぬ、事を挙ぐるに先ちて唯重盛が首を召さるべしと極言せしかば、清盛屈して事遂に罷むという。やがて重盛第に帰りて、今こそ重盛急ありと披露せしかば、西八条にありし数千騎の兵ども、皆小松第に集り到りて清盛が側一人も残らず、清盛いいよいよ惧惑し、遂に全く法皇を幽するの企を思い止めたりという、之れ重盛諫言として知られたる所にして、歴史画の好画題とする所なり。菊池容斎、松本楓湖.小堀鞆音等図あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)