郭子儀

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かくしぎ


画題

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解説

(分類:中国)

画題辞典

郭子儀、華州の人、唐代に出づ。初め軍に沙塞の間に在リ銀州に至る、一夜風塵を吹いて行李通ぜず、路傍の空屋に入りて宿せんとす、その時室中に一駢輜車あり、繍屋の中に一美人の足の垂るゝを見る、時七月七日なるを以て必ず織女の降臨なるべしとし、子儀因て長寿富貴を請ふという。子儀後に安祿山の反に功を立て司徒を加えて代国侯に封ぜられ、貴盛に威望赫々たり。徳宗皇帝の時、尚文大尉中書令を拝し、汾陽の忠武王となり、身を以て天下の安危に任ずるもの三十年。功天下を蓋うて主疑わず位人臣を極めて衆疾まずという、家人三千人、八子七婿皆顕達、諸孫数十人の多きあり、来りて安を問ふも、余りに多きが故に一々分別すること能わず、唯黙頭するのみなりという。八十三歳にして終る。探幽常信以下狩野の諸家の筆にする所少しとせず。円山応挙亦好んで之を描き、但馬応挙寺襖絵を始め植松氏所蔵其他二三にして足らず。呉春の筆は末松子爵旧蔵にあり。近代にては橋本雅邦の画く所亦二三、何れも世に知らる。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

郭子儀は支那唐代の功士、安禄山の平定に殊勲第一とせられ、位人臣を極め家人三千人八子七婿皆栄達、加ふるに長寿なので、古来好画題としてよく画かる。

郭子儀、華州人也、初従軍沙塞間、因入京催軍食、廻至銀州十数里、日暮忽風砂陟暗行李不得、遂入道傍空屋中、籍地将宿、既夜忽見左右皆有赤光、仰視空中、見輧輜車繍屋中有一美女坐牀、垂足自天、而下俯視、子儀拝祝云、今七月七日、必是織女降臨、願賜長寿富貴、女笑曰、大富貴亦寿考言訖、冉々昇夫、猶正視子儀、良久而隠、子儀後立功貴盛、威望烜赫、大暦初鎮河中疾甚、三軍憂懼、子儀請御医及幕賓王、延昌孫、宿趙恵、伯厳郢等曰、吾此疾、自知未到衰☆(歹偏+頁)、因話所遇之事、衆称賀忻悦、其後拝太尉尚書令尚父、年九十而薨。  (太平広記一九)

郭子儀を画いた作、主なるものを挙げる

円山応挙筆  (国宝)  但馬大乗寺蔵

狩野元信筆       島津公爵家旧蔵

長沢芦雪筆       福田山王荘旧蔵

与謝蕪村筆       横江竹軒氏旧蔵

鼎春岳筆        東京帝室博物館蔵

狩野伊川院筆      池田侯爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)