道饗祭

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みちあえまつり


画題

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解説

東洋画題綜覧

鬼や物の怪の城内に入らぬやうに、京の四隅に八衢比古〈やちまたひこ〉、八衢比女〈やちまたひめ〉、久那斗〈くなど〉の三神を祀る祭事で、鬼の心を和げる為め、予め道に迎へて饗応するといふので此の名がある、大宝令によれば、六月と十二月の両月にこれを行つたとある、その祭師は主として陰陽師が之を司り晦日大祓の後に於て行ふを例とした。諸国で悪疫の流行した折などはよく行はれたこと歴史にあり、称徳天皇の宝亀元年六月、疫神を京師の四隅及畿内の十界に祀らしめたのがその始としてある、鎌倉時代から室町時代までは此の祭も盛に行はれたこと『吾妻鑑』や『康富記』等に見えて居るが、今は廃せられて行はれない。

六月三十日道饗祭、是は疫神の神なり、毎年に必行なるべき事なり、近比は絶えて侍るにや、是も卜部の人、京城の四角の路にて、鬼魅の地方よりきたるを京路に入ざらしめん為めに、路上に供物をそなへてまつるなり、鎮火、道饗を祭をば、四角四界の祭とも申也。  (公事根源)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)