道元禅師

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どうげんぜんじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

道元禅師は我が国曹洞宗の開祖、希玄と号し仏性房と称す。大納言久我通親の子、正治二年正月二日京都に生る、八歳母を喪くし無常観に打たれ、十三歳叡山に剃髪し、尋で三井に遊び後、建仁寺に栄西に謁して禅宗に帰した、貞応二年歳二十四、全公と偕に宋に入り、天童の如浄禅師に従つて曹洞宗の秘奥をうけ、安貞元年帰朝した。途次洋中颶風天雲を掃つて来リ、船覆らんとする時、衆皆色を失つたが、道元は神色自若普門品を誦してゐたので忽ちにして静平に帰した、太宰府に著く、乃ち洛に上り建仁寺に寓す。天福元年、弘誓院の正覚、地を城南の深草に択んで興聖宝林寺を営み、道元禅師を請じて第一世とした。寛元二年雲州の太守波多野義重、越前に於て大仏寺(後の永平寺)を建て、聘して開山始祖とした。後嵯峨天皇勅して紫衣を賜うたが終生これを著けず、建長五年寺を嫡祖孤雲懐弉に譲り病を京都に養ひ、四月廿五日(又八月廿八日)寂す、年五十四、法臘四十一、東山に荼毘し骨を永平寺に葬る。孝明天皇、仏性伝東国師の号を賜ひ、明治天皇承陽大師と加諡せらる、道元禅師はその敬称。  (仏教辞林)

道元禅師を画いたものに左の作がある。

安田靫彦筆  『仏性坊』  第七回七絃会出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)