谷風

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

総合

谷風梶之助

0042.gif

{生没}初代、生没不詳。二代、寛延三年~寛政七年(一七五〇~一七九五)。 【初代】本名鈴木善十郎。陸奥国刈田郡に生れ、享保年間(一七一六~一七三六)に活躍する。高松藩に抱えられ、九年間無敗であったと伝えられる。上田秋成の「胆大小心録」百三十八には、次のように記されている。八角盾之助という力士は背が低く横幅があって強いことこの上ないが、こすいところがあった。低く構えて、立会いに待ったをはじめて言った力士である。この八角は谷風を待った待ったと足をしびれさせて負かしたので、谷風は高松藩のお抱えに暇が出ることになった。お抱え最後の相撲で、盾ヶ崎浪之助や相引森右衛門など四五人を続けて投げて、御前を立ち去った。その雄壮さに、再び召し抱えられることになったが、谷風はもどらなかったという。 【二代】本名金子与四朗。陸奥国宮城郡に生れる。江戸の大関柏戸が、千代での興行の際に、米俵四俵を背にして見物している少年を見出し、伊達家の片倉小十郎の仲介で弟子にしたという。貧しい百姓の子で、馬がないために米俵をかついで仙台に運んでいたのである。または、同郷の伊勢の海に入門し白石藩に抱えられたともいう。はじめ秀ノ山と名乗り、昭和六年(一七七六)に谷風を名乗った。「大相撲評判記」上には、身の丈六尺二分五寸(約一八九センチ)、重さ四三貫目(約百六十一キロ)、総身一点の不足なく、力量万人に勝れ、別して相撲の達人にて、腰低く寄る足至って早く」と書かれている。同書はさらに次のように続ける。安政七年(一七七八)、大阪の力士小野川喜三郎が二十一歳で江戸に下り、二段目で十日間勝ち抜き、翌八年には七日目に谷風と対戦。谷風は三十八貫、小野川は二十四貫で、難なく谷風が小野川を押し出す。翌九年には八日目に対戦。二十五貫になっていた小野川は、谷風の乳の上を目当てに両手を雷のごとく、息継ぎさせず押し立てる。谷風も押し戻し争ううち、先手を取った小野川がついに押出す。その時は四方の桟敷から雨の降る程、祝儀や声が飛び、鳴り止まなかった。この後両者は互角に戦ったという。谷風が小野川と対戦して初めて負けた記載には列伝があり、「俗耳鼓吹」では、「谷風梶之助……力つよくして、ひとたびも負くることなく……浅草蔵前八幡の社内にてすまひありし時、小野川栄蔵にはじめて負けたり。天明二年(一七八二)寅三月二十八日の日なり」として、そのことを詠んだ朱楽管公の歌「手練せし手をつらうがをの川やかっと車のわっといふ声」と四方赤良の「谷風はまけたまけたと小野川がかつをよりねの高いとり沙汰」とを伝える。やがて寛政元年(一七八九)に、二人同時に横綱になる。その横綱免許状が、松浦静山の「甲子夜話」続篇巻四十四に伝えられている。「此時、谷風、小野川は横綱の角力なり。この免許と云ふこと、吉田氏の所授と云ふ。免許写/一、横綱之事/右は谷風梶之助相撲之位依而授与畢。以来方屋入之筋迄相用可仍而如件/寛政元酉年十一月九日/本朝相撲之司御行司十九代吉田追風」谷風は小野川のことを、どこまでもきれいな相撲で、汚い手は使わない。このような相手がいるから自分も強い相撲と世の中から認められるのだと、高く評価していたという。寛政三年(一七九一)六月、江戸城吹上御苑で将軍家斉上覧相撲に、小野川と対戦し、勝負が決しないままに、行司は谷風の気力勝ちをあげ、谷風は面目を施したという。ある時、弟子の事で谷風は大層立腹し、楼上に上がってしまって下りず、その弟子を連れて来い、殺してやると怒った。他の多くの弟子が代わるがわる侘びを言って取り成すが、聞き入れずにますます激しく怒る。そこである弟子が、谷風の寵する年十七になる女に、なだめ取り成して機嫌を直してくれるように頼む。女は楼上に上がり、谷風の手をとって、弟子ども皆お詫びしているので下におりてくださいませと頼むと、谷風は「おうおう」と言いながら女に手を引かれて下りて来て、事は納まった。あとで弟子達は「かく多き角力の力も、少婦一人には敵せられず」と言いながら、その弟子の才覚をほめたという(「甲子夜話」第九)。豪の者の情のやさしい面を語っている。谷風のよい人柄と大力豪勇を伝える話は、講談・歌舞伎に脚色され「谷風の七善根」と言われる。優勝二十一回、連勝六十三の金字 塔をうち立てた谷風も、流行のかぜにかかり、死亡する。人々はこの流行かぜを「たにかぜ」と呼んだ。故郷仙台の東漸寺に碑がある。        

〔松田 稔〕

以上、日本奇談逸話伝説大辞典より抜粋 


谷風の登場する文献

神明相撲闘争記 / 編輯人不詳,栄泉社, 明18.4

尋常小学修身口授教案 / 石井音五郎他,文華堂, 明20−21

尋常小学修身口授教案. 巻2,4 / 石井了一他. - 訂2版,巣枝堂, 明23.7

谷風叢話. 上巻 / 内藤弥一郎著,耕文堂, 明27.11

日本史伝文選. 上,中,下巻 / 幸田露伴著,大鐙閣, 大正8−9


[1]