裎嬰杵臼

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ていえいしょきゅう


画題

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解説

東洋画題綜覧

裎嬰、杵臼は、共に支那春秋戦国周代、趙氏の義士、趙の大夫屠岸賈、反して趙朔を殺し、その孤児をも捕へやうとした時、裎嬰は知己の杵臼と謀つて、嬰は趙氏の遺孤武氏を抱いて深く山中に匿れ、杵臼には他の孤児を抱かせ、趙氏の孤見と偽はり、買に殺させた、十五年の後、漸く賈を亡ぼし、武氏を立てゝ趙氏のあとを継がしめた、武氏は嬰の義心に感激し、厚く嬰に禄せんとしたが、嬰は『時既に遅れた、今黄泉に就いて、盟友の杵臼と犠牲になつた偽の孤児宣孟に伝へて詫びやう』と自刃して果てた。  (史記)

これを画いたものに、狩野元信筆、『裎嬰杵臼物語』絵巻がある。『予譲物語』と二巻をなし、近衛植家公の詞書で、狩野常信の奥書がある、浅草橋場青地家の旧蔵である。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)