藤原永手

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ふじわらの ながて


画題

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解説

前賢故実

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太政大臣と贈られた藤原房前の第二子。母は正三位牟漏王。永手は相門の生まれで、神護二年右大臣從一位、同二年左大臣を歴任。宝亀元年、高野天皇(称徳天皇)が重病に陥った。当時、僧道鏡が帝に厚く寵愛され、威勢をふるい、窃かに身分不相応の考えを抱いていた。永手が道鏡を遠くへ流す策略を決めたおかげで、朝廷は無事に難を乗り越えたのだ。永手は宝亀二年二月薨去、享年五十八歳。光仁天皇は哀悼の念に堪えなくて、正三位中納言と中務卿を兼任する文室真人、および大市正正三位員外中納言と宮内卿右京太夫を兼任する石川朝臣豊成の二人を遣わして、金品を持たせ、弔慰を表し太政大臣を贈った。

(『前賢故実』)