藤原不比等

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ふじわらの ふひと


画題

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解説

前賢故実

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内大臣鎌足の第二子。学問を好み、謙虚で礼儀正しい。父に続き天皇の補佐を勤めていた。白鳳十三年、天智天皇から藤原朝臣の姓を賜った。大宝元年、不比等は勅命を受けて、刑部親王、下毛野古麻呂等とともに律令を選定し、天下に発布した。元正天皇から寵愛と厚遇を受けて、不比等は国の政事を任せられ、右大臣正二位まで昇進した。養老四年薨去。その死を沈痛な思いで悼む帝は、朝政を止め弔慰金を贈り、群臣より格上の礼遇であった。また、太政大臣をおくられ、淡海公を追贈され、文忠公の謚を与えられた。藤原氏はもともと氏長者がいなかったが、不比等が自ら初めての藤原氏の氏長者を勤めた。不比等は四人の息子がいて、正二位左大臣の長男武智麻呂が南家、正三位参議民部卿の次男房前が北家、正三位参議式部卿太宰帥の三男宇合が式家、從三位兵部卿左京大夫の四男麻呂が京家と称していた。後世の藤原氏の末裔は、みなこの四家の流れを汲んでいる。

春日侍宴応詔

淑気光天下(優しくて温和な気が天下に行き渡り) 薫風扇海浜(暖かい南風が海辺を吹いている) 春日歓春鳥(春の鳥が春の光を感じて歓び) 蘭生折蘭人(蘭を折っている人は蘭のように香る) 塩梅道尚故(政事に精を出す事は過去になり) 文酒事猶新(酒を酌みながら詩歌を詠む事はまだ新しい) 隠逸去幽薮(閑静な竹林で隠居すると思っているが) 没賢陪紫宸(ふつつかながら宮廷に参上している)

(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

内大臣鎌足の第二子で、持統天皇の朝判事となり、文武天皇の詔により藤原朝臣の姓を承ぐ、律令を撰して功あり中納言となり大宝元年正三位大納言に、慶雲元年従二位に進む、二年病むや、京師の諸寺をして其の平癒を祈らしむ、初め鎌足維摩会を陶原の家に修したが、鎌足薨去後廃されてゐたのを不比等先霊に祈つて癒ゆるを得たので之を復し、七日を限り、鎌足の忌日に至つて止め、後これを興福寺に移した、四年詔して世々の功を嘉し鎌足を追慕して武内宿祢に比す、そして封五十戸を賜ふたが、不比等固辞して受けず和銅元年正二位に進み右大臣を拝し養老二年太政大臣に任ぜられたが、また固辞して受けず、八月病篤し、帝、天下に大赦してその不癒を祈らせ給ふた、以てその御親任の篤かつたことを知ることが出来る、日ならずして薨ず六十二、太政大臣正一位を贈り文忠と諡す、その近江国十二郡を賜ふた処から世に淡海公といふ。  (大日本史)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)