范蠡

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総合

【出典】

王世貞『有象列仙全傳』

林守篤『画筌』

近世視覚文化を読み解くはんれい


画題

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解説

画題辞典

范蠡は支那戦国の世に出でし人なり、越王勾践を輔けて呉を謀り善くその志を遂げしむ、後勾践が患難は之を共にずべきも安楽を与にすべき人にあらざるを悟り、共有する軽寶珠王を治装し舟に乗じて江湖に出で海に浮びて齊に走り、姓名を変じて鴟夷子皮と称し、又陶に行きて朱公といふ、陶は貨物交易の最も盛なる地なり、即ち玆に産を治め、鉅万の富を為し、後世富を称する時第一指を屈せしむるに至る、范蠡泛舟の図は古来和漢画家の筆する所となす。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那春秋時代の越の功臣、字は少伯、越王勾践に仕へて大夫となり勾践を佐けて竟に呉を亡ぼし会稽の恥を雪ぎ、更に兵を中国に出して覇業を成さしめ上将軍と称せられた、そして以為らく勾践の人となり与に患難を同うすべくして安楽を与にすべきでないと、勾践の許を辞し舟に乗じて海に泛び斉に出で姓名を変じて鴟夷子皮と称し、海畔に耕し産を治め、巨万の富をなした、斉人その賢を聞き以て相とした、范蠡嘆じて曰く、家に居つては千金を致し、宮に入つては卿相に至る、これ布衣の極みであると、乃ち相の印と返し、尽く其財を散じて知友郷党に分ち、共重宝を懐にして去り陶に留まる、以為らく陶は天下の中枢、以て富を致すべしと、自ら朱公と称し、父子耕畜してまた巨万の富を累ねた、人呼んで陶朱公といふ。

道釈人物画として和漢画かるゝところ少くない。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)