耳塵集
総合
にじんしゅう。 享保十二(1727)年刊
- 歌舞伎役者金子吉左衛門が書きとめた古人役者の説を纏めたもの。
初代坂田藤十郎の芸談が収録されている。
安永五(1776)年刊『役者論語』の中に収められている。
本文翻刻
上之巻
師匠に成まじき論幷ニ造り樹之事
一 山下京右衛門曰、坂田藤十郎は天性の名人にして、三ヶ津心有藝者のゆるしたる名人。今上手といはるゝ立役の中に、藤十郎に及ぶ藝者一人も有べきとはおもはれず。我も又及ばず。然ども天性の名人成るが故、却而師匠には成まじきや。その故は、たとへば木作りの名人が、松にてもあれ、さま/”\に枝をねぢたはめ、見事に作りなしたる松と、又天性ふりよく見事に生たる松のごとし。餘の上手は下手をねぢたはめ、能藝にいたしたる上手なり。それゆへ今の上手は、下手をねいたはめ、能藝にする事を覚え、弟子にをしゆる事あり。其故に師匠とたのまるべし。又天性の名人は、生れながらの名人なる故、我ねぢたはめられたる事なければ、我又人をねぢたはむる事をしらず。去程に師匠にはたのまれまじきなり。
実を以笑はすといふ事
一 又曰、実事をして上手といはるゝは、手がらにならず。実事は初心の藝者も、その狂言の筋をいふがゆへ、すこしはまぎるゝ也。いはんや上手をや。誰ならぬはおかしき事也。さればこそ耳取て鼻かむやうなことをいひて笑はすはあれど、藤十郎ごとく実をいひて笑はす藝者はあらじ。
実事師心得違之事
一 坂田藤十郎曰、おかしき事が実事也。常にある事をする故なり。今の藝者の実事を見るに、互にそりをうち鼻とはなとをつき合、ぬけぬかんなどゝの詰合、実の侍のすべき業ならず。此心ゆへせりふづけも又々右に同じ。是をさして実事といふべき歟。
身ぶり製に不構事
一 又曰、身ぶりのよしあしを吟味する藝者あり。尤見物に見するものなれば、あしきよりよきはよからん。予は吟味なし。身ぶりとて作りてするにあらず。身ぶりはこゝろのあまりにして、よろこびいかるときは、をのづからその心身にあらはるゝ。然るに何ぞ身ぶりとて外にあらんや。
道外あどといふ事
一 或藝者、藤十郎に向ひ、貴殿諸藝達し給ふ中に、別而道外のあど名人なりしとほむる。藤十郎曰、道外のあどとは何ンの事なるや。予は道外と狂言する也。手前さへ実らしきまんろくに狂言すれば、道外もしやすく、をのづからあどになる也。あどゝおもひあどをうでば、道外氏は狂言の邪魔に見ゆるものなり。
とかく道外師と狂言を大事にかけ、よくせんとおもへる也。
ほねや庄左衛門小鼓之事幷ニ坂田藤十郎問答
一 大坂道頓堀にて勧進能ありし時、京よりほねや庄右衛門とて名人の小鼓三番目を打れしに、諸人こぞつて是を聞く。尤上手とは思ひしかどもさのみおどろかず。則初日の事なりしに、藤十郎は庄右衛門弟子、殊に無二の懇故、見舞がてら見物して諸人の評判を聞、すぐに庄右衛門旅宿へゆき、此度の能、大坂の衆中の心ざす所は御身一人。しかるにさのみほめもそしりもせず、心得あれかしとなり。庄右衛門、心あかれ。明日よりほめられて見せんと有しが、案のごとく二日めより日本第一の上手とほめたり。藤十郎又行て、今日の評判格別。何ンと心得、鼓を打給ふやと尋しに、庄右衛門曰、初日は大事にかけ、御身が狂言する様に、ほめられんといふ事をはなれ、まんろくに打たり。今日はさらばほめられんとおもひ、少し曲を打たり。それ故ほめるならん。ほめさすやうにはうちやすきもの、まんろくには打にくきものとかたりぬ。予同座に居て是を聞、ほめられふとほめられまいと、自由になるは是名人の藝也と、つく/”\顔をうちり居たりぬ。
相手役者笑ふ事
一 藤十郎曰、藝者によりて狂言をされ、相手にも笑せる有。是心得がたし。我仕習の時より今日、舞臺にて仕なれたる狂言を、今日は此心にてせん、明日はかくやせんと、常々舞臺にてけいこせり。其故は、あたらしき狂言の稽古、初日は相手も我も、せりふ覚へざるがゆへ、狂言の仕様あらかた也。随分よくせんとはおもへども。なか/\仕なれたる狂言とは格別也。夫ゆへ、しなれたる狂言をされ、相手笑はせる藝者は、此心なきやとなり。
初日より仕馴たるせりふの事幷ニ喧嘩のたとへ
一 或藝者、藤十郎に問て曰、我も人も、初日にはせりふなま覚なるゆへか、うろたゆる也。こなたは十日廿日も、仕なれたる狂言なさるゝやうなり。いか成御心ありてや承りたし。答て曰、我も初日は同、うろたゆる也。しかれども、よそめに仕なれたる狂言をするやうに見ゆるは、けいこの時、せりふをよく覚へ、初日には、ねからわすれて、舞臺にて相手のせりふを聞、其時おもひ出してせりふを云なり。其故は、常/”\人と寄合、或は喧嘩口論するに、かねてせりふにたくみなし。相手のいふ詞を聞、此方初て返答心にうかむ。狂言は常を手本とおもふ故、けいこにはよく覚え、初日には忘れて出るとなり。
能脇役高安友之進勧進能之事幷ニ名人の金言
一 高安友之進といへる能の脇師、名人のきこへ有。大坂道頓堀にて勧進能有し時、初日の前日、友達をいざなひ舟遊びに出、酒にみだれ放埒の體也。折ふし京より津田三益といへる医師、見廻に下り同船に有しが、友之進にむかひ、此度の能御身独の目当也。則明日は初日、然らば今日はきんがく有べき處に、油断の體、明日の初日大事ならずやと異見ありしかば、友之進答て曰、初日は大事のものにてはあらず。大事は常の稽古にあり。稽古の時魂を入、能覚へ込、初日はわすれて出るなり。初日を大事とおもへば、我芸にあらずと答へければ、三益感じ入たるとなり。予がおもふ事、藤十郎、日頃仕なれたる狂言にて稽古を仕覚へ、あたらしき狂言、初日にせりふをわすれて出るとかたられしと、友之進、初日はわすれて出るとこたへられしも同意也。名人の詞は自然と当れると。
せりふはや口遅口之事
一 或人、藤十郎に問て曰、せりふはや口なるがよきや、またおそきがよきや。答て曰、はやかろわるかろ大事なし。おそかろわるかろなをわるしといふ事あり。同じわろき内ならば、早きはこらへらるゝ。おそきはわろき中のわろき也。
見物をわすれて狂言する事
一 藤十郎曰、ほめられんとおもはゞ、見物をわすれ、狂言を誠のやうに、まんろくにいたしたるがよし。
山下京右衛門藤十郎三右衛門二人を指て名人と云事
一 京右衛門曰、我等しならひの時分、能心を付て見るに、三右衛門はうそらしき狂言の仕様にて、しかも名人なり。藤十郎は誠にして、同名人なり。とかく藤十郎と三右衛門と貳人を一所にして、仕習はんとおもひ、精を出したるとなり。
十二段之狂言に主従之論幷霧波千寿袖嶋源次之事
一 或時十二段狂言仕組の時、浄るり御前霧浪千寿。十五夜、袖崎源次せりふの時、藤十郎曰、源次狂言の仕方心得がたし。千寿は浄るり御前にて主也。源次は十五夜にて家来なり。然るに今狂言の仕様、主従のわけ見へず。根心に、千寿は一座の立女形、我はそれより二三番目。何ンのその藝になつたら仕勝てくれん。がく屋の心が舞臺へ出る。千寿に仕あたんとおもはゞ。浄るり御前は主、十五夜は家来なる程にその家来をいかにも家来らしく能すれば、千寿に仕勝事もあらん。家来の分として主に仕かたんとおもはゞ、十五夜にもあらず、本より浄るり御前にてもなく、もし今其様な奉公人あらば隙をいだすべきより外なしとしかられければ、一座の人々感心。源次はあやまりぬ。
仏の原三の後日狂言二日目工夫の事
一 仏の原三ノ後日の狂言に、梅房文蔵請出したる奥州といふ女郎を、家来望月八郎衛門が女房にちかはしたるに、月日かさなれどもいまだ枕をならべぬよし。文蔵心に扨は日頃いひかはせし詞をたがへじと、此文蔵にたてる心中なるべし。返而八郎右衛門がおもはん所もはづかし。奥州に異見をくわへんとはおもへども、人めをいとひ、夜陰に及び、かづきをきて女の姿にさまをかへ、八郎右衛門が屋敷へしのび入、奥州に出合、右いけんせしかば、奥州大きにはらを立、枕をならびやうがならべまいが、八郎衛門殿と私との詰ひらき。一度女房にやつて置て、いらざる御気づかひ、早々御帰あれといへば、文蔵心に誠をあかさぬは、こしもとどもあまたそばに有故ならん。今お隙をとり、奥州とさし向ひに心底を尋んと、さしてもなき事に、いろ/\と隙を入ること、おかしき事にて、文蔵がしこなし也。初日七月十五日、見物このしこなしたいくつして、おけよ引込よと口々にいひて、其段狂言わけもなかりしが、芝居はてゝ、予、藤十郎かたへ禮に行、貴殿今日おかしき段、門左衛門、我等、談合にてせりふ付たりしかども、見物其意得ざれば力なし。せりふ半分御ぬきあれかしといへば、いや/\明日の狂言の仕様ありと。十六日見物。思ひ多くして有しが、かのおかしきだん、大きにおもしろがり、藤十郎さまながふ/\と口/\にいへり。其暮に藤十郎同道にて、大文字見物に参らんとさそひに立より、扨々昨日とは違ひ、結句は長/\とせりふをつけそへなされ候が、ながふせよとは、常とちがひ、七月の見物の御きげん取くるしと申せしかば、いや/\見物にむりはなし。此藤十郎がさいくに、おかしき所と心得たる故也。高が奥州が心底を聞んがために、いろ/\と隙どるしこなし。その気を持、狂言すればよしと工夫して、今日いよ/\せりふをながくつけてせしに、あんのごとくながふ/\といふてほめたり。とかく本心が大事なり。当年五十三になりしが、いままであがらぬ藝。もふあがらぬ事かと、くやまれる。
下之巻
嵐三右衛門酒好といふ事幷最上藤八鑓の論
一 古嵐三右衛門、常に避けを好で呑るゝ故、舞台にても誠の酒をのまるゝやうに見ゆる。扨/\名人かなと誉る人有しが、かたへの人、此度最上藤八鑓にてつかるゝ所、実にも誠につかれたるやうなり。定てあれも常/\鑓にてつかれたるらんと笑ひぬ。
芸者善悪を不嫌可習事
一 或芸者、十二三なる実子の物をならふに、役者のならわひでもくるしからざるは、天露盤、手跡、其外是/\はならはひでもくるしからずといひしかば、藤十郎聞て、いや/\さにはあらず。役者の芸は乞食袋にて、当分いらふが入まいが、何にても見付次第ひろひ取、袋に入て帰りたるがよし。入ものばかり用に立、いらざるものはとつて置、入ル時出すべし。ねからしらぬ事はならぬもの。巾着切の所作なりとも、能見ならへとなり。
名人より名人と呼中川金之丞事
一 中川金之丞は、藤十郎・京右衛門其外心ある芸者が、名人とほめられし名人。金之丞、予にたいして曰、人は舞台へ出る度、毎日ほめられんと申おもひ、けん物数多くいへども我はきらひなり。一所二所斗心をつけ念を入、其外はうけ返答、いかにもまことらしくせんとおもふのみなり。
坂田藤十郎道外師心得の教訓幷仙台弥五八を嫌事=
仙台弥五七といふ道外師、京都にて高給銀をとり、並なき上手なりし故、予道外仕習の時分、ねがわくは弥五七程の芸者に成たしとおもふて居たりし折柄、藤十郎曰、一向道外するとも必弥五七まねをいたすべからず。其故は、此程の狂言に、只今大殿様御死去なされしと聞て、皆/\おどろく。弥五七道外に、南無三ぼう寝耳へ牛の入る様な事かなといへり。いかに笑へばとて道外のいふまじき事也。先道外の役は、いつとても不調法者麁相あほうなり。ねみゝへ牛が入たるとは、或は太鼓もちなどの帥の口なり。たとへ帥なりとも、大殿御死去と聞て、ね耳へうしが入たるとはいふべからず。ねみゝへ水の入たるといふは常なり、同はね耳へ見ずの入たる様な事といふて笑せたしといへり。予が曰、左様に申さば、見ぶつ笑ひ申まじと申せしかど、そこが工夫なり、言所によつてわらふべしとなり。其後予がせりふに、たゞ今奥様、若君様を御誕生なされしといふを聞て、南無三宝ね耳へ水が入たるやうな事かな、といひしに、大きに笑ぬ。かやうのせりふ付、格別よかりしとは、此様成ル吟味故歟。
瘂の工夫
一 村雨といふ狂言に、藤十郎瘂の役なりしが、初日に見物瘂ル度毎に見物おかし笑ひぬ。則能狂言にて評判宜敷ゆへ、或人初日の夜悦(よろこび)に行、瘂大きに出来たりとほめぬ。藤十郎其意を得ず。此度瘂をせんと思ひ付しは、見物のこゝろに、いつもの狂言には藤十郎はよくものをいへり。此度は瘂故、おもふ事もしか/゙\と得いはず。不便の事やとおもはせ、見物に泣かせんとおもひしに、今日笑ふたり。是は予が工夫たらざる所、明日より泣せんと、あんのごとくなかせたり。ある芸者、行て問て曰、いか成工夫にて、今日の様に見物なきたるぞやと。答て曰、瘂はおのが心に我は瘂なりと思ふが故、人のきくをはづかしくおもひ、たしなみて瘂ぬ。しかれどもうれしきとき、或は腹の立時、我を忘れ瘂るなり。夫故今日は瘂ず。嬉敷とき、はらのたつ時は、又はをかしき時に瘂る計也。答て曰、然共、初中後、瘂の様に見へしはいかに。答え曰、口の内にて瘂りいふ所は瘂ず。口の内にて瘂がゆえ、それ程せりふのあいだをぬく計也といへり。
嵐三右衛門替り狂言稽古仕様幷酒興に戯るゝ事
古嵐三右衛門ぬれ口舌などの狂言の仕組に、相手の役人を我が内へ呼寄せ、本より酒ずき成ゆへ頓て盃を出し、其座に懇ろして居る子どもあれども、それには目もかけず、外の子供につぶやきさゝやき、或はほうずりつけさし、後には酔て正体なし。元より若衆は悋気して様々のゝしれば、同子ども立役あいさつに入、中を直し盃させり。此時は藤十郎親坂田市左衛門、眞野や勘左衛門座本にて有しゆへ、其座へ藤十郎来り、是は/\そう/”\敷事かな。初日も近日ぞや。若衆と口舌所にては有まじき事、はや/\けいこをせよと、笑ひ/\申されしかば、三右衛門、我も左様に存じ、最善より稽古を致したりと、初而盃を出せし時より、今なか直しの盃まで、若衆のりんき人々の挨拶にいたるまで、こと/”\く皆覚へ、是替り狂言の稽古也と、其通に仕ぐみたり。いづれも役人こはいかにといへば、作たる事はわろし、實より。その義をおもふが故に日比は稽古の場へ盃は出さねども、此度は替り狂言のせりふ付のため盃をいだし、若衆が是非悋気をせねばならざる様に仕かけかくのごとし。いづれも舞台にて唯今の様にいたされよといへり。是又よき思ひ付なり。古人はかほど迄心をつくせり。
続狂言作りはじめの事幷相手のせりふを聞事
弥五左衛門といふ有。役は花車形にて、狂言作者の名人なり。むかしははなれ狂言なりしが、今の二番つゞき三番続はこの弥五左衛門作なり。則非人かたき打の作者也。藤田小平次も此弥五左衛門吟味によつて實事師の名をとれり。荒木与次兵衛・中川金之丞・金子六右衛門、其頃若き芸者寄合て、とかく弥五左衛門が手にかゝらねば、本の上手には成がたしといへりとなり。則弥五左衛門曰、今上手の中に、相手のせりふをいふ中に、休でゐる芸者多し。よからぬ事にや。第一狂言ゆるまり、其身のからだ死るなり。とかくせりふをいふ相手の顔を見てゐるか、但耳をそば立、聞てゐるがよしといへり。
作者名を番附に初てのする事
一 富永平兵衛は、右弥五右衛門に次での作者にて、今顔見世の役者付に狂言作者と書事富永平兵衛初り也。延宝八年(1680)の暮の顔見世成りしが、其当座は諸人こぞつてにくめり。
村山平右衛門坂田藤十郎に一礼之事
宝永四年亥の年、江戸村山平右衛門、京都万太夫芝居へ登り、十月江戸へ下る時、坂田藤十郎私宅にて立振舞致され、予も相伴いたせしが、平右衛門、藤十郎に向ひ、御かげ忝し。我始て下りし顔見世より、貴公様を手本と致し、實事、ぬれ事によらず、一切貴公様の御まねを仕りしに、よき事は何国にてもよし。今江戸二三番切の芸者に成りぬ。是皆貴公の御蔭と一礼申せしかば、藤十郎かぶりをふり、定而わるからん。芸は我性根より一流出したるこそよけれ。我を手本にせば我よりおとりぬと思へり。今少し工夫致されよと申され、其場しらけたり。
中入より出る役人の事
藤十郎曰、中入に出る役人の事、前にいわでかなはずば、その役人の事表にいひたて、今のせりふは次にいふべし。その故は、中入の役人の事前にいふは、見物に能覚させんとの事なり。しからば表にいひ立、よくおぼへさせたるがよし。又今いふせりふを次にせよとは、今いふせりふは則今の狂言にして居るゆへ、見物をのづからよく覚るとなり。
近松門左衛門金子吉左衛門相談狂言の事
→『続耳塵集』
一 或時替り狂言、近松氏、我等談合にて、楽屋に役人を集め、狂言を咄したるに、我が役よき人は狂言をほめぬ、役悪き人は吉悪をいはず。狂言のよしあしをしらざる人は、いつも顔をみて多分に付べきてい。中にも文盲にして狂言の心なき人は、先一番にはらを立、我が家来をしかり、きげんあしく、人/\にいとまごひもせず立帰りぬ。其ころ藤十郎座本にてありしが、きやうげんのよしあしをいはざれば、外よりいひ出すべき事もなし。藤十郎曰、先上の口明より稽古致されよと立帰られぬ。翌日より稽古にかゝり、四五の内に上の稽古しまい、其後四番目の口明をけいこする日に至り、藤十郎、今一度狂言の咄しを聞なをさんと有しゆへ、又はなしぬ。然れども吉あしをいはず。木履をはき傘杖にて出る狂言成しが、楽屋番にいひ付、右の品々取寄、木履をはき杖をつき傘をさし、さあせりふを付られよとありし故、近松氏、・予、かたのごとくせりふを付、一返稽古を通したり。藤十郎曰、扨/\よき狂言かな。初て此狂言の咄しを聞ても、又今聞なをしても、わろき狂言をは思ひぬ。しかれども作者の心に能き狂言とおもへばこそ、役人をよせて咄されたり。我心にあしきと思ひても、見物のほめる狂言あり。我当年五十に餘れども、狂言の咄しを聞て善悪を定めがたし。我是しらば、今時分は長者にも成ぬらん。仕手の心作者の心格別なれば、先せりふを付させんと思ひ、木履からかさ杖を取よし、はじてより立て稽古をせしなり。是縦横のまんといふ心。然るに今作者のせりふ付によつて、正しくよき狂言としれり。兎角狂言の稽古は我がごとく、初手から立たるがよしといへり。此おもひやりは、もと藤十郎能き狂言を拵えたる故なるべし。いつとても藤十郎狂言のはなしを聞るゝに、我が役の多少にはかまはず、狂言の筋を能きかれたり。
狂言はなきものといふ事
一 藤十郎曰、若まづしうして金銀ほしき時、金銀ぬすみても有べし。又道なかに落てもあるべし。狂言計はぬすまんとおもひても、拾はんと思ひても、ねからなきもの也。此事をしらぬは文盲なる下手の役者なり。
諸役者坂田藤十郎相手に成上手とみゆる事
一 其比女かた・若衆がた・立役・道外・親仁方に至るまで、藤十郎相手になるもの、皆上手に見へたり。其故はせりふのいひやう、いきつぎ、立居に付て、藤十郎立てをしへぬ。何も藤十郎に帰伏して居る故に是をすむかず。をしゆるにまかせ致すが故、格別によく見へたり。しかも藤十郎役すくなく、でかしばへなき事あり。或人、藤十郎に対して曰、狂言は面白くはやれども、貴殿すくなく是のみ残り多しといへば、藤十郎打笑ひ、狂言さへよくばかんにんあれ。藤十郎が藝の善悪は、かねて見物よくしれり。全く藤十郎を見する芝居にあらず。狂言を見する芝居也といへり。
大坂新町扇屋夕霧追善狂言の事
一 延宝六年午の正月に、新町あふぎや夕霧過行たり。同く二月三日より、夕霧名残の正月と云外題にて、則坂田藤十郎、藤屋伊左衛門といへる買手に成りぬ。此時藤十郎三十二歳、又所望有て同六月に右の狂言を出せり。又同十月二日より右の狂言をいだし、同廿九日迄大入。おなじく十二月中頃より右の狂言いだせり。是は来ル正月二日より、夕霧一周忌致さんがため、見物におもひ出させるため也。一年の内、同狂言を四度仕る事、およそ是はじめの終ならん。宝永六年己丑霜月朔日、藤十郎死去。生年六十三歳。右延宝六年午年より宝永六年丑のとし迄三十二年。此間に、夕霧名残の正月・同一周忌・同三年・同七年・同・十三年忌・同十七年忌、其外右同じ狂言くりかへし致したる事、以上十八度。是又珍らしき狂言也。其外、けいせい玉手箱、又は堺大寺・傾城江戸桜・傾城阿波の鳴門・けいせい佛原・同三ノ後日・壬生大念仏・同後日・同三ノ後日壬生大念仏。同後日・同三ノ後日の壬生秋の念仏。かやうのけいせい事かぞふるにいとまあらず。又其頃毎年七月に曾我を出せり。是は春二の替りに傾城事致せし故、一年の内に二度はいかゞとおもひ、大磯の虎とかはらん為也。かやうの事を思ひまはせば、凡一代の間、傾城事を致せり。藤十郎は得手成故なるべし。見物ゆるしてよく見て居たり。尤も今実事師は一代實事を致さるゝたぐひならんか。然共藤十郎ごとく、同じ狂言を度々致さるゝ事まれなり。京右衛門曰、藤十郎は名人にて、我得たる狂言いたさるゝ。我に得たる狂言なし。とかく藤十郎は名誉の藝者也と。藝咄しの折ふし、いつとても此事のみなり。
語釈
山下京右衛門
藤十郎と同時代の立役名人。
三ヶ津
京都・江戸・大坂の三都のこと。
実事
写実芸
誰ならぬ
誰にもできない
耳取て鼻かむ
道理にあわないすっとんきょうなこと
実
真実味
そりをうつ
刀のそりをうつ
詰合
歌舞伎でよく使われる用語の一つ。詰開き、詰めよせ。緊張感をもって詰め寄られる場面で使う。
せりふづけ
台詞の言い方。
道外
おどけた役をする役柄。
あど
道外役と相手になり、相づちを打つこと。
まんろく
公正に。何事もなかったように。平常心。
三番目
五番能のうちの三番目。
見舞
挨拶
心得あれかし
お気を付けてください
心あかれ
大丈夫です。
曲
技巧的に
藝者によりて狂言をされ
役者によっては仕馴れた狂言をふざけて
あらかた
大方
きんがく
つつしみ学ぶ
異見
いさめる。
三右衛門
初代嵐三右衛門。元禄三年に大坂で没す。延宝期の名優。藤十郎と芸質を比較された。
十二段狂言
名題不詳。内容は、浄瑠璃姫の本地譚『浄瑠璃御前物語』に取材したもの。浄瑠璃姫は義経伝説の内の一つ。牛若丸の恋人で、その名は「浄瑠璃」の名称の起源となっている。
仏の原
元禄十二年正月「けいせい仏の原」
三ノ後日
「けいせい仏の原」のあとにでた「敦賀の津三階蔵」のことを指す。七月十五日初演。
梅房文蔵
「けいせい仏の原」の主人公。絵入狂言本では梅永文蔵。初代坂田藤十郎の役。
詰ひらき
道理。相談
わけもなかりし
めちゃくちゃになる
初中後
三番続きのはじめから終わりまで。
中入
第二場。
替り狂言
新狂言。
談合
話し合い
先上の口明
上中下の上の巻にあたる。上巻の発端。
かたのごとく
きまりどおりに
縦横のまん
台詞と身振りとを一緒によくのみこむ。
帰伏
尊敬して従順に従う。