耆婆

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ぎば


画題

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解説

画題辞典

扁鵲と相並称せられて名医の範と尊ばるもの也。印度摩伽陀城の人、徳叉尸羅国の賓迦羅に就き、医道を修むること七年、克く其の奥に逹し、頻娑羅王及釈尊の病を療したることよく知らる、素より深く仏教に帰依せるものなり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

印度の名医、訳して活命能活等といふ、頻婆羅王の子で、阿闍世の庶兄である、捺女を母とす、其の胎を出づるや、針筒薬囊を持つ、母これを悪み白衣に裏んで巷中に棄つ、無畏王遥に見て其の何物かを問ふ、人、その小児なるを答ふ、更にその死活を問ふ、なほ生ける由を答ふ、無畏王依て之を拾ひ梵音ジーヴアカ即ち活ける者といふ名を与へ、乳して養ひ、後母に還す、乃ち時の名医得叉尸羅国の阿提梨賓迦羅に就いて医法を学ばせた、学ぶこと七年、阿提梨賓迦羅、耆婆に命じて一由旬の野に薬草を求めしむ、耆婆帰り報ずらく、一として薬草でないものはないと、阿提梨賓迦羅乃ち耆婆を以て医の業成るとなし去ることを許すといふ、かくて耆婆は頻婆羅王、釈尊等の病を療し亦深く仏教に帰依した、阿闍世の父王を弑して後疾を得、心中大に悔恨したのを見て、これに勧めて仏に帰せしめたこともある、後世支那の扁鵲と併称して医神として祀るに至つた。渡辺崋山にこれを画いた作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)