維摩

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ゆいま


画題

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解説

画題辞典

佛教に居士の一なり、維摩は維摩詰の略稱にして、又毘摩羅詰ともいふ、一に浄名居士の名あり、天竺毗舎離国毘耶離城の長者にして、在家の身ながら菩薩の行業あり、其の疾に罹るや、釈尊の諸弟子交々抵りて教を乞ふ、居士自ら疾を説明し、「以一切衆生病是故我病苦、一切衆生得不病則我病滅」といへりとぞ、佛教の隆盛と共に、その像も屢々画かれて佛教美術の題材となり、更に普通画題に用ひらるゝに至れり。伝李籠眠筆(京都東福寺所蔵)伝李龍眠筆(黒田侯爵家所蔵)伝顔輝筆(山口瑠璃光寺所蔵)筆者不明鎌倉時代(東京帝窒博物館所蔵)能阿彌筆(京都知恩院所蔵)雪舟筆(京都孤蓬庵所蔵)同(浅野候爵家所蔵)同(松平子爵所蔵)同(藤堂伯爵所蔵)文清筆(原富太郎氏所蔵)如拙筆(同氏所蔵)狩野永徳筆(福岡子爵所蔵)狩野永徳筆(京都高臺寺所蔵)等、何れも名画と押すべきものながら就中黒田侯爵家所蔵の李龍眠筆の維摩は勁き線描に成るものにて世に絶品の定評あるものなり、近世にては御物狩野探幽筆中維摩左右花鳥三幅對を初め探幽常信以下累代の狩野家のものゝ筆に成るもの甚だ多く、又緒方光琳円山応挙等の画けるもあり、最近にては橋本雅邦狩野芳岸以下現代画家の作亦数ふるに暇あらず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

維摩は仏教大乗居士の名、梵名委しくは維摩羅詰毘摩羅詰、訳して浄名、無垢称といふ。普通に維摩詰、東方妙喜世界から釈迦の教化を輔ける為めに毘耶離城に化生して在家の身となる。釈迦、庵羅樹国にあり城中の五百の長者子説法を請ふ、維摩故らに病を現じて往かず、仏十大弟子や諸菩薩を遣はしてその病を訪はしめたが、皆怖れて往かず文殊菩薩独り往く、その問答によつて無住の本より一切法を建立し一切万法を挙げて不二の一法に帰せしめ以て常想を打破し遂に主客共に無言によつて不可説の旨を彰はす、この問答を書いたものが、維摩経である。

古来、維摩像を画くもの極めて多い。左に主なものを挙げる。

伝李竜眠筆            京都東福寺蔵

同                黒田侯爵家蔵

伝顔輝筆             山口瑠璃光寺蔵

能阿弥筆             京都知恩院蔵

文清筆              横浜原善一郎氏蔵

雪舟筆              京都孤蓬庵蔵

伝宅磨栄賀筆  『維摩鎌足公』  東京帝室博物館蔵

定朝作              奈良興福寺蔵

光琳筆              保坂潤治氏蔵      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)