絵看板

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えかんばん Ekanban


総合


歌舞伎

 劇場正面に掲げられる看板の内、絵で表現された看板。江戸初期には、文字のみの看板であったが、元禄後半頃より、大名題看板の上部に絵が入るようになり、さらに小名題看板はにも上部に絵が入るようになった。大坂や操芝居の看板には早くから絵看板ががあり(延宝頃から)、それを江戸で倣ったともいう。  以降、劇場の発達とともに、様々な種類の絵看板が掲げられるようになった。櫓下看板は、のちに中通り以上の役者の役名と狂言の内容を絵組にした一枚の絵看板になった。そして、右側には絵看板が並べられる。

 天保の改革後、浅草猿若町に三座が移転してからは、三座が通りの同じ側に並んだため、開演時には櫓下の腕木に釣看板を出すようになり、これも絵看板であった。  江戸の絵看板は鳥居派によって描かれるもので、現代まで続く。また、大坂では長谷川貞信らが描いていた。