粟田真人

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あわたの まひと


画題

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解説

前賢故実

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文武天皇慶雲元年七月、真人は唐より帰国した。当初、真人は入唐し、楚州の塩城県に至り、国号を唐から周へ改易したと聞かされて驚いた(武曌即ち則天武后が即位し、国号を周へ変えた)。塩城県の人が「日本国の四民が豊かで楽しく暮していて、礼義を重んじていると聞いている。使者様が高潔な儀容を持っている。君子の国という名は、嘘ではなかったようだ。」と言った。その後、真人は武曌に拝謁し、麟徳殿で招宴された。真人は学問を好み、文章を書くことに優れていた。さらに、唐の進徳冠をかぶっており、その頂は花のように分かれて四方に垂れ、紫の衣を身に付けて白絹を腰帯にしていた。神のような威儀であった。これを見た人は、美しいと感心しない者がいなかった。慶雲二年、正三位を授けられ、中納言に任ぜられた。養老三年に薨去。

(『前賢故実』)