筑紫琴

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

つくしごと


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

箏のことの称、宇多天皇の頃、石川色子と云ふ命婦、豊前の彦山で異朝の人に習ひ妙術の名を得たと、又俗間に行はるゝ十三絃の琴の名である。寛文の頃、筑後の善導寺の僧法水から弘まつた為め此の名があると。

十三絃は廿五絃をわりて半略したるなり、十二の調子をあはせり、初の一絃、名のみばかりで弾くことなし、因て半琴と云ふ、寛文の頃筑後国善導寺の僧法水といふもの、箏を学んで妙術を得たり、後に東武に下り、上永検校城談に伝ふ、(上永後に一橋と改む)八橋検校これを得て、始めて三絃にうつし合はす、今以て筑紫琴と称す。  (近代世事談)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)