筑摩祭

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ちくままつり


画題

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解説

画題辞典

筑摩祭は近江の国坂田郡なる筑摩明神の祭礼にして四月一日に行わるゝものなり、昔此祭礼の時その土地の女子は、その歳の中に会うたる男の数だけの鍋を頭に被りて参詣するを規としたり、是れ淫奔の風俗を戒めたるものなるべし、奇風なれば画かるゝものも少しとせず、

山口素絢の図(伊勢小津左衛門氏所蔵)あり、葛飾北斎の図(小林文七氏所蔵)あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

近江の国坂田郡米原町大字朝妻に在る郷社、都久摩神社の祭礼である、古は大膳職の御厨の地で大御食津の前を祭り、相殿は大市姫の神である、古は村の婦女、男に許した数だけの鍋を戴いて神幸に供奉する奇習があつた、若し虚のことあれば鍋が自ら破れるといふ、いつの程よりかすたれて、今は下げ髪に狩衣、緋の袴のごときものを著、紙の鍋を戴き、少女八人が供奉して唯その面影を伝ふるのみとなつた。  (俳諧歳時記)

  むかしをとこ女のまだ世をへずとおぼえたるが人の御もとへ、しのびてもの聞えて後、ほど経て

あふみなるつくまのまつりはやせなんつれなき人のなべの数見む  (伊勢物語)

これを描いたものに

山口素絢の作(伊勢小津氏蔵)葛飾北斎の作(小林文七氏旧蔵)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)