福禄寿

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ふくろくじゅ ーーーー 一我邦にて七福神の一にして、人望の表徴なり、天南星にて、壽老人と同等なりといふ、音支那宋の元祐年中京に一老人あり、長さ三尺、頭の長さと身長と相同し、目秀て髯多く卜占を事とす、頭を叩て曰く吾は壽を増すの星なりと、帝之を召す、曰く、数々黄河の清むを見たりと、蓋し黄河に千年に一度清むといふもの、以て齢の高きを測るべしと、即ち其像を図せしむ、鹿と鶴とを配するも共に齢高きものなればなり、三井男爵所蔵に秋月の筆あり、秋元子爵旧蔵に雪舟の筆あり。大津絵には共の長頭に梯子をかけ、大黒の之に攀ぢて噺する滑稽図あり。二謎語画題にて、鹿と霊芝と蝙蝠とを画きて福禄壽とす、鹿は音禄に通じ、蝠は福に通ぜしめ、霊芝を以て壽を代表せしめたるなり。或は霊芝に代ふるに壽老人に以てせるなり、何づれ人世の至幸を数ふるものにて、禄の尊ばれたるも封建時代の習はしなり。 狩野芳崖筆(某氏所蔵) 橋本雅邦筆(大島義條氏所蔵) (『画題辞典』斎藤隆三)


画題

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解説

画題辞典

東洋画題綜覧

(一)福と禄と寿命と、又画題に寿老人に蝠(福)を鹿(禄)とを画き添へて福禄寿とすることあり、或は蝙蝠(福)鹿(禄)亀(寿)を併せて福禄寿を寿はし、陶朱公(福)周文王(禄)南極老人(寿)とするもあり。

北窓瑣談(橘南谿)四漢土の画家福禄寿の図に陶朱公、周文王、南極老人を用ふ、また蝙蝠、鹿、亀の三物を画くもあり。

(二)支那に、仙人の名、宋の嘉祐中の道士、南極星の化身なりと云ふ、常に画きて七福神の一とす、短身、長頭、多髯にして杖に経巻を結び、鶴を伴ふ所を図す、俗にフクロクジン、三徳具備の相を画けるなりと、略して、ふくろく、南極老人星、寿星、老人星、寿老人。  (大言海)

福禄寿像『明、陳晦伯が天中記に、邵康節が題辞を引て曰、嘉祐八年冬十一月、京師有道人、遊卜于市莫知所従来貌礼古怪、不与常類、飲酒無算、未嘗覚酔都人士異之、相与諠伝、好事者潜図其状、後近侍達帝、引見賜酒一石、飲及七十次日、司天台奏、寿星臨帝坐、忽失道人所在、仁宗嘉歎久之、閲世之所写寿星図不知其幾、不過俯亀狎鶴、松柏参錯、粉飾鮮麗而已、仁宗時、天下熙々無物春、宜乎、寿星遊戯入間、躬見于帝也、云々、又宋、松江曹以寧が、讕言長語に、老人星一名狐南、一名南極、是則天下治平、只一星耳、今人往々以長頭短身柱杖、侶以亀鶴等、謂之寿星此皆伝襲現之弊、画工取巧而士君子亦信之何哉』  (燕居雑話〉

福禄寿、往々寿星と混同される、これに依れば、を伴ふもの福禄寿、鹿を侶とするもの寿老か、その図極めて多い。  (「寿老人」参照)

雪村筆             松沢家旧蔵

雪舟筆  『竜虎三幅対』の中  前田侯爵家旧蔵

同               高橋箒庵氏旧蔵

光琳筆             川崎男爵家旧蔵

探幽筆             藤田男爵家蔵

呉春筆             松本双軒庵旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)