祖元

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そげん


画題

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解説

東洋画題綜覧

鎌倉時代の高僧、字は子元、号は無学、弘安九年勅諡仏光禅師、後ち円満常照国師といふ。俗姓許氏父は伯済、母は陳氏、明州慶元府鄞邑の人、南宋の宝慶二年に生れ、十三歳の時父を喪ひ、家出して杭州浄慈寺北礀禅師に師事し、十四歳の時径山に登つて無準禅師に謁して参究し、無準示寂の後、霊隠育王等を歴遊して、石渓、偃渓、虚堂、物初、退耕、環渓の諸禅師に歴事し、後、成淳五年台州の真如寺に住し、順祐元年乱を避けて雁山の能仁寺に留る。元の至元十三年、兵難にあひ温州にあつて堂中に兀座し、賊が将に刀を頭に加へようとした時、偈を唱へて曰く、乾坤無地卓孤節、喜得人空法亦空、珍重大元三尺剣、電光影裏斬春風と、賊悔謝して去る。次年天童山に至り、第一座となる、同十六年我国の北条時宗の請状に接し、六月二日舟に登つて我が国に向ふ、実に我が弘安二年である、八月廿一日鎌倉建長寺に住す、時宗弟子の霊を執つて崇重す。乃ち円覚寺を建立し師を開山とした。弘安五年十二月八日入て住し日夜学徒と接得す、同七年時宗卒するに方り師偈を唱へて悼惜した、九年九月三日円覚寺に入寂す、年六十一。  (国史大辞典)

祖元を描いたものに左の作がある。

服部有恒筆  『時宗と祖元』  新文展第二回出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)