矢の根

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やのね


総合


歌舞伎

歌舞伎十八番の一つ。享保十四年(1729)初演。 市川家の荒事の味が多分に残っており、伴奏の大薩摩の勇壮で古風な味、夢幻的な筋、ユーモラスな趣き等、充分鑑賞に価する。 曾我の五郎は父の仇を討たんと一心に矢の根を研いでいるが、春の日永につい砥石を枕にうたたねをする。その夢に兄の十郎があらわれ、工藤の館にとらわれているから、危難を救ってくれとつげる。ガバとはねおきた五郎は、折から通りかかった馬子からうばった裸馬にまたがり、大根を鞭に、工藤の館に一目散にかけつける。


画題

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解説

画題辞典

矢の音は歌舞伎狂言にして、市川家の歌舞伎十八番の一なり、大荒事の古風なる狂言にて、曾我五郎時致が車鬢の鬘二本隈の顔に、蝶模様の廣袖肌脱ぎ、胸當を施し、大襷を掛けるといふ拵なり、大矢の根を砥石に懸けながら、吉例の獨白あるもの、享保十四年正月江戸中村座に於て二代目市川団十郎始めて演ずる所なり、歌舞伎絵として画かるゝ所多し、市川宗家に二代日の自画あり、(大正震災亡失)伊勢堀内氏所蔵に七代目団十郎の画あり。 (『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

『矢の根』は二代目団十郎を贔屓した幕府の御研物師佐柄木弥太郎が、正月の家例研物初めには、いつも団十郎が招かれ厚綿の布子を着て炬燵櫓に跨り大矢の根を研ぐ式をあげたが、それを象つたものといふ、二代目団十郎が、これを芝居に取入れたのは享保十四年正月堺町市村座の『扇恵方曽我』に曽我五郎で始めて『矢の根』を研ぐ荒事を勤めた、浄瑠璃は大薩摩主膳太夫で正月から五月まで打通した大当り、五月人形、玩具屋の看板其他の飾物まで矢の根人形が流行し、座元は両国薬研堀に衣裳倉を建てた、之を矢の倉と呼んだ。  (歌舞伎細見) 『矢の根』は代表的劇画の一つとして描かるゝもの少くない。歌舞伎十八番を画いたもの古来少からず、初代豊国、香蝶楼豊国などの作聞え、現代では鏑木清方、鳥居清忠にその作がある。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)