田道
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たじ
画題
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解説
前賢故実
仁徳天皇五十三年、新羅が朝貢しないため、帝が上毛野君の祖、すなわち竹葉瀬およびその弟の田道を遣わして、新羅に譲歩を逼る。これを拒んで新羅は挙兵した。新羅と対陣している田道は、守りを固くして陣営から出なかったが、密かに新羅の軍卒を捉まって敵陣の情報を聞き出し、戦略を練って新羅軍を急襲した。新羅軍の敗走によって、田道は四つの邑の人民を捕虜として連れて帰った。仁徳天皇五十五年、蝦夷が叛乱を起こした。田道は征伐の大将として蝦夷へ行ったが、戦がうまく行かず、奮闘の末、伊寺水門で死んだ。後に、田道の墓から大蛇が現れ、蝦夷の人に噛み付き、多くの者が死亡した。当時の人は「田道は亡くなっているが、遂に復讐することができた。」といった。田道が戦死したとき、従者が田道の手に巻いていた装飾品を持ち帰って、田道の妻に渡した。妻は悲しみに耐えず遺品を抱いたまま縊死した。これを聞いた人々は涙を流した。
(『前賢故実』)