狂言

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総合

平安時代から鎌倉時代頃に成立を遂げ、現在も演じつづけられている、能楽のうがくと総称される芸能の一部で、内容はおおむね喜劇と言える。現代では古典芸能と位置付けられている。二百数十曲の曲目が、現在でも演じられている。狂言は、同じ能楽の一部である能と共に演じられるが、それは能の大成期までにはできあがっていた形式である。

流派

現在では、大蔵流和泉流の二流派が残っている。他に鷺流という流派があったが、江戸時代末期に衰退し、今では山口県や佐渡の民俗芸能にその面影を遺すのみである。

狂言の演出

狂言は、舞台を用いて、扮装した役者によって行われる演劇である。基本的には素顔(直面という)で演じるが、役によっては面を着ける。また囃子事や地謡を伴わないのが普通だが、曲によってはそれらを用いることもある。

近世初期頃からの狂言には、曲ごとに型や決まり事があり、それに基づいて上演されている。一つの流儀内の派によって微妙な演出の差があり、能に比べて一曲の基本演出に幅がある。

狂言の性格・芸術性

狂言は、当初能とは正反対に、滑稽性を前面に押し出した即興性が強い演劇であったようであり、現在演じられているような形に固定したのは江戸時代初期頃のことである。市井の一コマを鋭く抉り出し、痛烈な批判を加えた内容が多いが、その表現は笑いを誘う喜劇的なものである。また熟練した役者は、舞台に登場するだけで観客を楽しくさせる雰囲気を醸し出している。その自然発生的な可笑しさが、狂言の芸術性と言えるのではないか。ことさら意図して笑わせようとする演技ではなく、何かしら自然と見る者の笑いを誘う、いわば狂言は「笑い」の芸術といえるかもしれない。