煬帝夜遊

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ようたいやゆう


画題

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解説

画題辞典

煬帝、諱は廣、文帝の第二子、支那隋の第二代の皇帝なり、位に即きて奢修に耽り、首として壮丁二百万人を役して洛陽の顯仁宮を栄み、江嶺の奇材異石を徴し、又海内の嘉木異草珍禽奇獣を求め、以て苑囿を充つ、又運河を開通し、長安四苑より穀洛の水を引きて河に達し、更に河水を導きて汴に入れ、汴水を引きて泗水に入れ、以て准水に達せしめ、又民を発して刊溝を開鑿して江に入れ、旁に御道を築さ植ゆるに柳を以てす、長安より江都に至るまでの間に離宮四十餘所あり、人を江南に遣はし、龍舟及雑船数万艘を造らしめ以て遊幸の用となす、西苑の周囲は二百里に餘り、その内に海を作り、叉蓬爽・方丈瀛州の諸山を作る、何れも高さ百餘尺あり、臺観宮殿山上に羅絡す、海北に渠あり。迂紆して海に注ぐ、渠の岸に十六院あり、其門皆渠に臨み華麗の極を尽くす、宮殿の樹木凋落すれば綺麗の絹綵を剪りて花葉を作り、之を綴りて美を添へしむ、沼中にも亦綵を剪りて荷芰菱莵を作り、色渝るあれば即ち新らしきものを以て易ふ、好んて月夜を以て宮女数千騎を随ひ、西苑に遊び清夜曲を作り、馬上之を奏して楽となす、世に煬帝夜遊といひて名高し、其後帝親く高麗征討の軍を起して勝たず、中原乱れて江都に留まりて歸らず、日夜酒色に沈溺ぜしが遂に従駕の十叛を謀りて之を弑す、伝任月山筆煬帝夜遊の図(西脇某氏所蔵)あり、その他この図少なからす。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那隋の二世皇帝、文帝の第二子、名は広、支那随一の暴逆豪奢な天子、秦始皇や漢武帝に倣ひ、一生数百万の人夫を使役して大土木を起し、長安より江都に至るまで離宮を建つること四十余ケ所、西苑周回四百余里、竜舟を泛べて遊ぶ為めに通済渠、刊溝、江南河を通じ、蓬莱方丈瀛州の三神山を作り、海内の奇石珍草を集め、後宮三千の佳麗に擁せられて酒池肉林の豪奢を恣にし、月夜には宮女数百を伴ひ西苑に遊んで清夜曲を作り馬上に之を奏して楽しむ、之を世に煬帝夜遊といふ、かくて国内漸く乱るゝの兆あり、十三年唐公李淵起つて帝を代へ恭皇帝を立てゝ後、文帝の為めに縊殺された、煬帝は斯く絶世の暴逆な皇帝であるが、その気宇闊大、その『清夜遊曲』は世に喧伝されてゐる。

    煬帝行宮    劉澹

此地曽経翠輦過、浮雲流水竟如何、香銷南国美人尽、怨入東風芳草多、残柳宮前空露葉、夕陽江上浩煙波、行人遥起広陵思、古渡月明聞棹声。

此の豪奢を描いたものに古く任月山の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)