源常

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みなもとの ときわ


画題

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解説

前賢故実

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嵯峨天皇の子。考えや感情を顔に出さない性格で、颯爽としていて聡明で才能があった。皇子たちの中では、最も嵯峨天皇に寵愛されていたという。天長初年に帯剣を授けられ、仁明天皇の即位の年に正三位へ転じ、承和初年に大納言と左近衛大将を兼任した。承和七年に右大臣と皇太子傅を兼任、從二位に叙せられた。同十一年に左大臣になり、上表して封戸を減らしてほしいと願ったが、却下された。それから懇願し続けた結果、帝がついに聞入れてくれた。源常はまた大将を辞したいと願ったが、聞入れてもらえなかった。文徳天皇の即位の年に正二位に栄進した。斉衡元年薨去、享年四十三歳。正一位を贈られた。東三条大臣と呼ばれていた。在官中、振舞が上品で、素直に自省する方であった。なお、才能のある人を推挙し、讒侫の者を退いた。かつて勅命を受けて日本後紀の編纂に参加していた。

訪浄上人病(病中の浄上人を訪ねる) 時年十六(十六歳)

支公臥病遣居諸(高僧が病に臥して退屈な日々をしのいでいる) 古寺苺苔人跡疎(苔の生えている古い寺では人跡が少ない) 閑客尋来若相問(もし訪ねてきた暇な客に聞かれたら) 自言身世片雲虚(地位や名声とは小さな雲のような空しい存在だと応える)

(『前賢故実』)