清涼禅師

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せいりょうぜんし


画題

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解説

画題辞典

清涼禅師は法限の開祖文益がことなり、餘杭の人、姓は魯氏、七歳新定の全諱に就きて落髪し、戒品を越州の希覺に受く、傍ら儒學を學び文章に長ぜり、已にして機縁尚熟せざるを以て、湖外に遊ばんと志して友人と共に去る、途に大雨に遭ひ、河漲るに及び、城西の地蔵院桂琛の所に足を止む、桂琛問ふ、汝等何処に往く、文益曰く、行脚するのみ、桂琛曰く、行脚奈何、文益曰く知らず、桂琛即ち知らざるは最も親しきものなりと謂ひ、共に爐を囲みて論議す、文益雨霽れたるを以て辞し去らんとす、桂琛送って門に至り、庭園の石を指して曰く、汝は常に三界唯心と説く、今此石は心外にありや、将た心内にありや、文益曰く心内にあり、桂琛又曰く、汝何故に石を心内に安んじて行脚するや、文益答ふる能はず、遂に行脚を解き礼を改めて究訊月餘に及ぶ、已にして桂琛、仏法を論ぜば一切悉く見成せんと説く、文益始めて当下に大悟す、後臨川の崇壽院に往き又江南の国主に迎へられ金陵報恩寺に転じ、又清涼院に移る、各所道場を聞き、諸方の學者及随す、後周世宗顕徳五年八月五日七十四歳を以て入寂す、大法眼と謚す、

京都天龍寺に伝馬遠の筆に成る画像あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)