氷室

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ひむろ


画題

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解説

東洋画題綜覧

能の曲名、氷室の故事と氷の物の御調にさゝぐるさまを神に寄せ祝言によせて綴つてゐる、雪氷の多少によつて年の豊凶を知るといふこともあつて、元日の節会にも、先づ氷のためしとて諸国より蔵む処の氷の厚薄など奏聞する儀式もあつた、この曲は宮増の作、前シテ翁、ツレ男、後シテ氷室神、ツレ天女、ワキ臣下、処は丹波である、一節を引く。

「如何に是なる老人に尋ぬべき事の候ふ「此方の事にて候ふか、何事か御尋ね候ふぞ、「おことは此氷室守にて有るか、「さん候ふ氷室守にて候ふ、「扨も年々に捧ぐる氷の物の供御、拝みは奉れども在所を見る事は今始めなり、扨々如何なる構により、春夏まで氷の消えざる謂委しく申し候へ「昔御狩の広野に、一村の森の下庵ありしに、頃は水無月半なるに、寒風御衣の袂にうつりて、さながら冬野の御幸の如し、怪しみ給ひ御覧ずれば、一人の老翁雪氷を屋の内にたゝへたり、彼翁の申すやう夫れ仙家には紫雪紅雪とて、薬の雪あり、翁も此くの如しとて氷を供御に備へしより氷の物の供御始まりて候ふ、「謂を聞けば面白や、扨て氷室の在所々々、上代よりも国々に、あまたかはりて有りしよのう、「先は仁徳天皇の御宇に、大和の国闘鶏の氷室より、供へ初めにし氷の物なり、「又其後は山陰の雪も霰もさえつゞく、便の風を松ケ崎、「北山陰の氷室なりしを、「又此国に所を移して深谷もさえけく谷風寒気も「便ありとて今までも、「末代長久の氷の供御の為め、丹波の国桑田の郡に、氷室を定め申すなり「実に/\翁の申す如く、山も所も木深き蔭の、日影もさゝぬ深谷なれば、春夏までも雪氷の、消えぬも又は理なり「いや所によりて氷の消えぬと承るは君の威光も無きに似たり、「唯よの常の雪氷は、「一夜の間にも年越ゆれば、「春立つ風は消ゆる物を、「されば歌にも、貫之が「袖ひぢて結びし水の氷れるを、春立つ今日の風や解くらんとよみたれば、夜の間に来る春にだに、氷は消ゆる習ひなり、ましてや春過ぎ夏たけて、早水無月になるまでも、消えぬ雪の薄氷、供御の力にあらでは如何でか残る雪ならん。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)