橋弁慶

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はしべんけい


総合


歌舞伎

長唄舞踊劇。明治四十五年(1912)に、初世市川段四郎片岡我童が初演した。 牛若丸と弁慶との五条橋の戦いはちまりにも有名な話だが、これを脚色したものは謡曲、義太夫、歌曲等に非常に多い。盛んに上演されていたのは、三世杵屋勘五郎が明治元年に謡曲の文句に節づけしたものである。のち、市川段四郎が能式の舞踊として劇場や舞踊会に行われるようになった。二世市川猿之助が得意としてしばしば演じた。


画題

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解説

東洋画題綜覧

能の曲名、西塔の武蔵坊弁慶、五条の天神に三七日丑刻参をする、けふしも満願といふので従者に供を命ずると、昨夜五条橋で十三四の小男の化生の如く斬り廻るを見たれば止め給へといふ、弁慶さらば吾れその化生のものを退治せんと五条橋に待つ、牛若は母の命で明日は鞍馬へ上るため今夜を終りにと五条橋畔に通る人を待つ、弁慶は大鎧を着し、長刀を取つて出で来る、牛若と闘ふこと敷刻、弁慶は遂に力及ばずして降参し長刀をかづき牛若の九条の邸に随従するといふ筋、シテは弁慶、子方は牛若、トモ弁慶の従者、処は山城で、大体『義経記』から出てゐる。 此の趣向を套習した作品は極めて多く、武者絵としてもよく画かれてゐる。 (『東洋画題綜覧』金井紫雲)