楊岐禅師

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やうぎぜんじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

楊岐禅師、名は方会、支那北宋代の人で禅宗の一派楊岐派の祖、石霜慈明の法嗣で南嶽下第十一世である、俗姓冷氏袁州宜春に生る、少にして警敏、冠するに及び筆硯に従事するを喜ばず、筠州九峰に遊び恍然去るに忍びず、遂に落髪して僧となる、これより各地に遊歴し南原の慈明に謁す、慈明、道吾、石霜の遷るに及び請うて監院の事を領す、慈明の意ではなかつたが衆論咸な善と称す、慈明飯を終れば必ず山行す、禅者道を問ふに多く所在がわからない、方会その出づること未だ遠からぬのを察し、鼓を打つて衆を集む、慈明遽に還り怒つて曰く『少叢林暮にして陞座す、何れよりか此の規縄を得たる』と、方会、徐ろに対て曰く『汾州の脱参何すれは規縄に非ずとせんや」と、慈明之を如何ともする能はず、久うして大事を領悟し大に禅風を発揚し臨済の正派を以て白雲の首座に付し、皇祐元年示寂す、年五十四。  (続伝灯録―五灯会元)

紫野大徳寺に文清筆、楊岐禅師画像あり国宝に指定されてゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)