東方朔

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総合

【出典】

王世貞『有象列仙全傳』

林守篤『画筌』

近世視覚文化を読み解くとうぼうさく


画題

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解説

画題辞典

東方朔、字は曼倩、平原の人なり、後漢の武帝即位の時廣く世に賢良文學材力の士を求むるや、時に東方朔年二十二、自ら薦めて曰く、「吾れ年十二、書を學び、年十五剣を學び、年十六詩書を學び、年十九兵を學ぶ云々、今年二十二、口懸珠の如く、歯は編貝の如く、其勇盂賁の如し云々」文辞甚だ不遜を極む、帝却つて之を喜びて擢用し大に之を寵す、東方朔受くる所悉く之を婦女の為めに費して悔えず、一歳一女を棄つ、甚だ滑稽諧謔に長じ、談笑の間に諷刺の意を寓す、奇言奇行極めて多し、元封元年女仙西王母が此帝の宮殿に下り蟠桃を帝に薦むるや、此時東方朔窃に此桃を窃取して食ふこと三個に及ぶという、是れより方朔仙術に通じ齢八百年を重ぬという、或時突如家を出で一年を経て帰来す、曰く紫泥の海に至り紫水に衣を汚したるを以て虞淵に行きて濯きて帰りしのみ云々、此類の逸話甚だ多し。東方朔を図せる名品左の如し。

伝明張平山筆東方朔奪桃図(山城春光院所蔵国宝)、伝狩野元信作東方朔図(東京帝室博物館所蔵)、柳里恭筆東方朔図(京都西本願寺旧蔵)、円山応挙筆東方朔図(樋口氏所蔵)、この他、谷文晁筆(埼玉小室氏所蔵)、北山道良筆(東京池田金太郎氏所蔵)等あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の仙人、仙術を得て齢八百歳に及ぶといふので、古来目出度い画題として盛に描かれ、西王母と対幅となつているものなど殊に多い、出所は『列仙伝』である。

東方朔、字曼倩、平原類次人、嘗出経年、兄曰、汝経年一帰、何以慰我、対曰、朔暫之紫泥海有紫水汚衣、乃過虞淵湔洗、朝発中還、何云経年、漢武帝時、上書曰、臣朔少失父母、長養兄嫂、年十二学書、三冬文史足用、十五学撃剣、十六学詩書、誦二十二万言、十九学二孫呉兵法、戦陣之具、鉦鼓之教、亦誦二十二万言、又常服子路之言、臣朔年二十二、長九尺三寸、口若懸珠歯若編具、勇若孟賁捷若慶忌、廉若鮑叔、信若尾生、若此可以為天子臣矣、臣朔冒死再拝以聞、朔文辞不遜、高自称誉、上偉之令待詔公車、又遷待詔金馬門、常侍中、詔賜之食、於前食已尽懐其余肉、衣尽汗数賜縑帛檐掲而去、嘗用所賜銭帛。取少婦於長安中、好女率取婦一歳所者即棄去更取、所賜物尽填之女子、人皆笑之、朔曰、如朔所謂避世於朝廷間者也、時酒酣拠地歌曰、陸沈於俗、避世金馬門、宮殿可以避世全身何必深山之中蒿廬之下朔将死、謂同舎郎、曰天下人無能知朔、知朔者惟大伍公耳、朔亡後、武帝得此語、召大伍公問之、答以不知、帝曰、公何所能、曰、頗善星暦、帝問諸星具在度否、曰諸星皆在、独不見歳星四十年、今須見耳、帝仰天嘆曰、東方朔在朕傍十八年、両不知為歳星、嘗惨然不楽。

東方朔を画いた作極めて多い。

狩野元信筆            帝室博物館蔵

渡辺崋山筆            内藤子爵家旧蔵

円山応挙筆            藤田男爵家旧蔵

岸岸駒筆             同

横山清暉筆            田村家旧蔵

伝張平山筆  『東方朔奪桃図』  山城春光院蔵

狩野洞雲筆            池田侯爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)