東岸居士

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とうがんこじ


画題

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解説

東洋画題綜覧

東岸居士は東山雲居寺の優婆塞、名は玄寿、東岸は其字、自然居士の弟子である、少壮の時から志を頓宗に留め、参禅を以て業となし、有髪俗衣、高座に登つて説法し、或は羯鼓を撃つて踊躍し、或は扇を執て舞ふ、其の行動人の意表に出づるもの多い、或人その剃髪せぬことを詰問すると、居士は答へて住居なければ出家する道理なく、出家せぬ故僧衣を纒ふいはれなく、髪は長く乱るれど特り道に入る、東岸の柳を以て箒とし、知解の薼を払ふと、弘安六年入寂した。

能に東岸居士があり、これを作る、シテは東岸居士、ワキは旅人、処は京都で、旅人と東岸居士の問答である。一節を引く

「とてもの事に羯鼓を打つて御見せ候へ、「面白や松吹く風颯々として、波の声茫々たり、「所は名におふ洛陽の詠めも近き白川の「波の鼓や風のささら、「打ち連れ行くや橋の上、「男女の往来、「貴賎上下の「袖を連ねて玉衣の、さゐ/\沈み浮波の、ささら八撥打連れて、百千鳥、「百千鳥、囀る春は物毎に、「あらたまれとも我ぞふり行く、「行くは白川、「行くは白川の「橋を隔てゝ向ひは「東岸「此方は「西岸「さざ波は「ささら「うつ波は「鼓「いづれも極楽の歌舞の菩薩の御法とは、聞きは知らずや旅人よあら面白や。

東岸居士は絵にしても非常に面白い。 

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)