木村重成

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

きむらしげなり


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

長門守といふ、重茲の子で母は右京大夫の局である、父重茲の罪を得て自刃するや、重成生れてなほ襁褓にあり、乳母抱いて近江に匿れ僅かに免るゝことを得た、長じて豊臣秀頼に仕へ長門守となつた、慶長十九年大阪冬の陣起るや、一方の将となつて上杉景勝、佐竹義宣等と奮戦し頗る功あり、和成るや、重成は秀頼の命を奉じ、使者として徳川家康を軍営に訪ひ、主命を伝ふ、挙止端厳にして進退度あり、家康をはじめ皆感嘆したといふ、翌年夏の陣再び起るや、重成兵四千七百を率ひて若江に出で藤堂高虎の前衛藤七と戦つて之を敗り勝に乗じて玉越門の堤に迫る、時に井伊直孝、高安を発して道明寺に至らんとし重成の旗印を見て之に向ふ、重成力戦奮闘、幾度か直孝の陣営を衝いたが、寡兵にして利あらず、直孝の臣庵原助左衛門といふもの十文字の槍を以て重成の幌を突き、重成落馬して水田に陥つた処を安藤長三郎といふもの其の首を馘つた、時に年僅に廿一、重成容貌秀麗にして沈勇、軍学にも長じてゐた、その若江の出陣には既に死を覚悟して居たので、予め伽羅を炷いて髪を薫じてゐたといふ、家康首の実検に当り、その床しき心根に感じたと伝へられる。  (野史)

その伽羅を炷いて髪を薫ずるところ好個の画題として画かる。伊達家に重成の像があり、第九回帝展に小堀安雄の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)