曲舞

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総合

くせまい

南北朝時代から室町時代にかけて流行した芸能の一種。

男装した女性または男性の演者が、叙事的内容の歌謡を鼓に合わせてリズミカルに歌い、それに簡単な所作が伴うといった芸態であったらしい。 それ以上の詳しい当時の芸態は知られていないが、その音曲は、拍節はくせつ型の謡を柱としたものであったと推測される。

曲舞は、室町時代初期以降衰退し、現在は地域の芸能にごくわずかその痕跡をとどめるにすぎない。 したがって、曲舞の芸態についての推測は、主に能の曲舞を分析したり、世阿弥の能楽論を参考にしたりして行われている。

曲舞のリズムを音曲芸能としての謡に取り入れ、曲舞がかりの謡を創始したのが観阿弥であり、この音曲改革は一世を風靡したとされる。 この改革によって、能の謡に拍節はくせつ型のリズムが始めて導入された(つまりそれ以前の能の謡はみな非拍節ひはくせつ型であった)と見る説もあるが、その改革以前の能の謡の具体的な芸態の詳細は明らかにされていない。

観阿弥がはじめたのは、音曲芸能としての曲舞ふうの謡( 曲舞謡)であって、その最初の曲は『白鬚の曲舞』だった。

観阿弥作の『白鬚の曲舞』をはじめとして、南北朝時代から室町時代初期にかけて、様々な人物によって多くの曲舞謡が作られた。その謡を、舞台芸能としての能に取り入れたのは、世阿弥であったと推測される。

それとともに、舞台芸能としての能の曲舞部分には多く、おそらく曲舞の芸態を倣ったと思われるシテの定型的な所作が入っており、現在にまで継承されている。

また、曲舞部分にシテが舞わず、ずっと下居したままでいる「居グセ」を有する曲がある。 これは舞が入るのが通常である曲舞に、あえて舞を入れないことによって、語りの要素を強調した、応用的な演出であると考えられる。たとえば《井筒》の曲舞部分がそれであり、このような応用的な演出は世阿弥の作品にすでに現れている。くせまい


画題

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解説

東洋画題綜覧

足利時代に行はれた一種の舞謡、白拍子の謡つた今様の一変した宴曲といふものに、舞をつけたものを云ふ、多くは女の技であつたやうである、七十一番職人尽歌合(文安)の曲舞々には女の水干烏帽子で扇子、腰鼓を持つてゐる図を載せてゐる。  (大言海)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)