昔話桃太郎

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総合

【書誌情報】

『補訂版 国書総合目録』には、昔語桃太郎一冊(類)絵本(版)国会と記されている。

 『帝國図書館和漢圖書目録』には、昔語桃太郎〔鳥井風の繒入〕と記されている。

 『改訂 日本小説書目年表』には記載なし。


 国書所在  国立国会図書館

 分類    黄表紙

 表紙    黒色(後のもの)

 題簽    貼題簽(後のもの)に「昔話桃太郎」と墨書。

 外題    昔話桃太郎。

 丁数    十三丁半(十四丁表に当たる部分の柱刻は摩滅しており、判読不能。)

 画作者   記載なし。

 板元    記載なし。

 刊年    記載なし。

【桃太郎作品一覧】

◇赤小本

 『もゝ太郎』(十丁 画作者未詳 享保八年《一七二三》刊 天理図書館蔵)


◇赤本

『むかしくの桃太郎』(五丁 藤田秀素筆 刊年未詳 稀書複製曾本)

『桃太郎昔語』(十丁 角書 再板 西村重信画 刊年未詳―東京都立中央図書館加賀文庫蔵 安永六年《一七七七》刊―大東急記念文庫蔵)


◇黄表紙

『桃太郎一代記』(二五丁 北尾政美画 天明元年《一七八一》刊 東京都立中央図書館加賀文庫・国会図書館・慶応大学図書館・大東急記念文庫・松浦史料博物館《一~五丁欠》蔵)

『昔話桃太郎傳』(十五丁 百済画 南杣笑楚満人作 文化二年《一八〇五》刊 国会図書館・東京都立中央図書館加賀文庫蔵)


◇合巻(体裁)

『桃太郎』(十五丁 角書 赤本再興 式亭三馬作 歌川国丸画 文化九年《一八一一》刊 国会図書館蔵)

『桃太郎一代記』(十丁 歌川芳虎表紙画 一勇斎国芳画 楽亭西馬作 天保期《一八三〇~一八四三》刊か 名古屋市蓬左文庫・天理図書館蔵)

『昔嘲桃太郎』(十丁 五雲亭国貞画 十返舎一九作 文政三年《一八二〇》刊 国会図書館蔵)


◇豆本

『桃太郎宝蔵入』(九丁 歌川広重画 夷福山人作 天保四・五年《一八三三~三四》頃刊 国会図書館蔵)

『繪本桃太郎』(十二丁 長秀画 刊年未詳 白百合女子大学図書館蔵)

『桃太郎英雄咄』(八丁 画作者・刊年未詳 白百合女子大学図書館蔵)

『桃太郎宝の山入』(八丁 画作者・刊年未詳 白百合女子大学図書館蔵)


◇その他(絵本)

〔昔話桃太郎〕(十三・五丁 画作者・刊年未詳 国会図書館蔵)

   桃太郎の絵本化は江戸中期から。体裁を改めた再版本も出版され人気の程が窺われる。






◇黒本・青本

『百太老寿草紙』(角書後日 鳥居清満画 安永二年《一七七三》刊 大東急記念文庫蔵)

『桃太郎後日合戦』(画作者・刊年未詳 大東急記念文庫蔵)

〔山入桃太郎〕(富川房信画か 刊年未詳 国会図書館蔵)


◇黄表紙

『風流桃太郎手柄咄』(鳥居清経画か 安永五年《一七七八》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

『桃太郎後日譚』(恋川春町画 明誠堂喜三二作 安永六年《一七七七》刊 東京都立中央図書館加賀文庫・東京都立中央図書館東京誌料・国会図書館蔵)

『桃太郎かんこの鳥』(豊川房信画 安永六年《一七七七》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

『桃太郎元服姿』(鳥居清長画 市場通笑作 安永八年《一七七九》刊 国会図書館蔵)

『桃太郎宝噺』(北尾三二郎(政美)画 安永九年《一七八〇》刊 国会図書館。東京都立中央図書館 加賀文庫蔵)

『十二支鼠桃太郎』(北尾三二郎(政美)画 文渓堂作 安永九年《一七八〇》刊 慶応大学図書館蔵・都立中央図書館加賀文庫蔵・大東急記念文庫蔵)

『昔噺虚言桃太郎』(鳥居清長画 伊庭可笑作 天明二年《一七八二》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵・岩瀬文庫蔵)

〔親動性桃太郎〕(鳥居清長画 天明四年《一七八四》刊 国会図書館蔵)

『八代目桃太郎』(角書 古河三蝶画・作 天明四年《一七八四》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵・大東急記念文庫蔵)

〔昔々噺問屋〕(角書 金太郎桃太郎 北尾政美画 恋川春町作 天明五年《一七八五》刊 国会図書館)

『桃太郎昔日記』(北尾政美画 寛政元年《一七八九》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

『山入桃太郎昔噺』(菊舟画 寛政四年《一七九二》刊 東京都立中央図書館加賀文庫蔵・大東急記念文庫蔵)

『桃太郎発端話説』(角書 昔々 勝川春郎画 山東京伝作 寛政五年《一七九三》刊 東京都立中央図書館東京誌料蔵・大東急記念文庫蔵)

『桃太郎大江山入』(歌川豊国画 桜川慈悲成作 寛政七年《一七九五》刊 国会図書館・東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

『初宝鬼島台』(角書 桃太郎後日物語 北尾重政画 十返舎一九作 享和三年《一八〇三》刊 国会図書館・東京都立中央図書館加賀文庫蔵)


◇豆本

『桃太郎』(歌側国丸画 桜川慈悲成作 文政七・八年《一八二四~二五》頃刊 国会図書館蔵)

【あらすじ】

 昔、子のない老夫婦が住んでいた。爺は山へ芝刈りに婆は川へ洗濯に行く。川に流れてきた二つの大きな桃を婆は持ち帰る。その日の夢に、子のない夫婦を不憫に思った氏神が出てきて、桃を食べたら必ず子を授かるという。

 夫婦はその夢のお告げに従い、桃を食べるとたちまち若返り、婆は身ごもり男児を出産する。その子を桃太郎と名付けた。力強く成長した桃太郎は、きび団子を腰につけ、鬼ヶ島へと向かう。その途中で出会った猿・犬・雉をお共にし、鬼を退治し、宝物を得る。



【プロット】

①爺は山へ芝刈り、婆は川へ洗濯に行く。

②婆は川で桃を拾う。

③夢を見る。

④桃を食べた爺婆は若返る。

⑤桃太郎誕生。

⑥成長した桃太郎はきび団子を持って鬼ヶ島に行く。

⑦犬・猿・雉が仲間になる。

⑧鬼を倒し、宝物を得る。



【 登場人物(・きび団子・桃)】

爺婆

  庶民的な老夫婦。子どもはいない。流れてきた大きな桃を拾って持って帰ってお爺さんと一緒に食べようというところに、夫婦の仲の良さが窺える。


桃太郎

  桃から生まれたので桃太郎と呼ばれる。(江戸期の赤本に数は少ないが「百々太郎」「桃の子太郎」もある。)この『昔話桃太郎』では、老夫婦が子どもを欲しくて願をかけた結果授かったということになっている。 古い説話では、仙郷から流れてくる川に浮かぶ仙果の桃から生まれる神の申し子ということになっているものもある。(『桃太郎像の変容』滑川道夫)

  野生的でたくましく、強く勇敢な子ども。鎧を着て、(「日本一」の旗をさし、)刀をさし、腰に巾着(きび団子が入っている)を着けている。


猿・犬・雉

  『昔話桃太郎』では、この順に登場し、同じようなことを言って家来か従者になる。犬は「仁」、猿は「智」、雉は「勇」を、三徳を持って鬼退治に向かう背景には、江戸期の儒教的思想がある。

  なぜ、この3匹の動物が描かれたのか。曲亭馬琴の『燕石雑志』によると、「鬼ヶ島は鬼門を表せり。之に逆するに、西の方申・酉・戌(さる・とり・いぬ)をもつてす」とある。「鬼門」は、鬼が出入りする方角として嫌われている方角で、東北(うしとら)の方角である。これは「陰」で、その反対の南西(ひつじさる)の方角が「陽」である。東北に位置する鬼を退治するには、その対極であるべきで、そこには、ひつじ・さる・とり・いぬが並んでいる。羊は弱者なので省かれて、さる・とり・いぬが選ばれている。鳥の中でも雉が選ばれたのには、よく闘う鳥とされていたかららしい。


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  想像上の動物。恐怖の対象。体は人間に似ていて、3本指で角と牙を持ち、力強く冷酷非情。『昔話桃太郎』では人を悩ませている。裸で虎の皮のふんどしをしめていることから、南方に住んでいると設定されているらしい。虎のふんどしをしめ、二本の角は、牛の角と同様なものになっている。これは、東北(うしとら)の方角にいるから。「悪」の象徴。桃太郎では鬼退治に行く理由が、しっかりと記述されていないが、鬼=悪だから退治されるべき存在として捉えられていたのかもしれない。


きび団子

  桃太郎遠征の食糧。3匹のお供と桃太郎とを結び着ける重要な役割を持つ。現在は岡山県の名菓として知られている。中国ではきびは「五穀の長」(孔子家語)として貴重にされていたらしい。日本では、米・粟・小豆・麦・大豆が尊重される。穀物の中では一般に粗食として扱われていた。遠征の困難に耐え忍ぶための兵糧であったという解釈もされているが、成立当時の庶民が贅沢な食事をできなかったことを表現しているのかもしれない。

  粗食であるはずのきび団子には「日本一の」がつけられている。(『桃太郎一代記』)「日本一」は室町時代の流行語(新村出『日本の言葉』より)。ここでの「日本一」とは、味のことではなく、長旅の食糧として適切であったとか、長旅の無事安全の効果があるなどの諸説がある。「一つ食べると十人の力」と書かれているものもある。


  「回春型(若返り型)」では、この桃を食べると爺婆は若返り、婆から力強い桃太郎が生まれる。「果生型」では、この桃から力強い桃太郎が誕生する。『昔話桃太郎』は「回春型(若返り型)」。

  桃は中国の仙果で、不老不死の力や、邪気を払う力があるとされていた。「桃は邪気を払ふて百鬼を制す」(新渡戸稲造『随想録』)とも言われている。(伊弉諾命が桃の実を三個投げて難を逃れるとか、追儺の式に殿上人が桃の木で作った弓を持って、芦の矢を射て鬼を払うとか、西王母伝説、三百歳の長寿を保つ桃花酒、桃源郷など、桃の神秘性がかなり 古くから知られていた)

【 桃太郎誕生の仕方】

回春型――桃を食べた爺婆が若返り、婆が身ごもって桃太郎を出産するもの。

果生型――桃太郎が桃から誕生するもの。

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(黄表紙『桃太郎一代記』北尾政美画 天明元年 2丁裏3丁表)


桃太郎の誕生には桃から生まれる「果生型」、桃を食べて若返った爺婆から生まれる「回春型(若返り型)」の二つがある。江戸期ではほとんどが回春譚で、江戸末期を過渡期として明治以降は果生譚となった。


桃太郎誕生の描かれ方

 赤本『むかしく桃太郎』(藤田秀素筆)では、

     「ぢゝばゝもゝをふくし、たちまちわかやぎ一子をまうけ、もゝ太郎となづく(一丁裏)」とあり、「これほどめでたい事はない(一丁裏)」という爺の言葉がある。    

      …爺婆が若返るという出来事のみを示し、その喜びの言葉としての「めでたい」という言葉のみ。


 合巻『桃太郎』(式亭三馬作)では、

    「ばゝあどのがむかしのぼつとりものになつた(二丁表)」「こちのぢさまはいろおとこにならんしやんした(二丁表)」などと言い合い、


 合巻『桃太郎一代記』(楽亭西馬作)では、

     「きさまはうめぼしのやうで三文がものもなかつたが、もゝをくつてからたいさうわかくなつた。もゝくい千両おやま。イヨやまく。(二丁裏)」「おまへもわかくおなりだ。しくわんとばん三ツときのくにやをいつしよにしたやうた。(三丁表)」と歌舞伎役者に見立てた掛け声や、歌舞伎役者名を用いている。互いに人気役者に例えて、美男美女になったことを褒め合っている。

        「やまく」…岩井半四郎の屋号「大和屋」

        「しくわん」…中村芝翫

        「ばん三ツ」…坂東三津五郎

        「きのくにや」…沢村宗十郎


 合巻『昔嘲桃太郎』(楽亭西馬作)では、

     「今までしらがのおやぢであつたが、にはかにわかくなつたといふは、どふしたひやうしのひやうたんやら、こいつはさつぱりわからないが、なにしろこんなめでたいことはない。そしてばゝあどのまでいきなとしまになつて、こんなうれしいことはない。はやくひがくれゝばよい。わしはむせうにねたくなつた。」     

  と、大人な会話で語っている。さらにそこに近所の人が登場し、   

  「たしかきさまはことし七十八九にもなるだろうが、三十ばかりの男になつた。しかしきさまは子がなくしてしあわせだ。きさまの子があつたなら、どふしてもいまごろは五十ばかりになつているだらうから、そふして見るとおやぢが三十ばかりで子が五十ではつまらぬものだ。(二丁裏・三丁表)

       と、少し笑いを誘っている。  

    …単なる爺婆が若返ったという事実だけでなく、セリフに工夫が凝らされており、各作品でそれぞれの爺婆の人物像が異なっている。


三作品の桃太郎の誕生の過程

(一)合巻『桃太郎』(式亭三馬)では、

  ①二つの桃を拾う

  ②一つの桃を爺婆が半分ずつ食べて若返る。

  ③(米櫃に入れた)もう一つの桃から桃太郎誕生。


(二)合巻『桃太郎一代記』(楽亭西馬作)では、

  ①桃を一つ拾う。

  ②(床の間に置いた)桃から桃太郎誕生。

  ③割れた桃を食べて爺婆若返る。


(三)合巻『昔嘲桃太郎』(十返舎一九作)では、

  ①桃を一つ拾う。

  ②一つの桃を爺婆が半分ずつ食べて若返る。

  ③(婆は)身ごもって桃太郎誕生。


 三作品共通―――爺婆が若返ること。「回春型」

 (一)(二)――-果生型「桃から桃太郎誕生。」

 (三)―――――回春型「婆が身ごもって桃太郎誕生。」


   …(一)(二)は、桃から桃太郎が生まれる果生型でありながら、桃を食べた爺婆が若がえる回春型(若返り型)でもある。



◎文化六年《一八〇九》刊『燕石雑志』(滝沢真琴著)の「桃太郎」の項には、

    童の話に、昔老いたる夫婦ありけり。夫が薪を山に折り、婦は流れに沿て衣を浣ふに、桃の実一ツ流れ来つ。携へかへりて夫を示すに、その桃おのづから破て、中に男児ありけり。この老夫婦原来子なし。この桃の中なる児を見て喜びて、これを養育み、その名を桃太郎と呼ぶほどに、〔割註〕或るはは云ふ、老婆桃の実二ツを得て家に携へかへりて、夫婦これを食ふに、忽地わかやぎつ。かくて一夜に孕(はらむ)ことありて、男子を生めり。因て桃太郎と名づくといへり。

   と、ある。童話として「回春型」と「果生型」の二種類の「桃太郎」の話が存在していたと思われる。この記述から、遅くても文化年間(一八〇四~一八一八)には回春型と並んで果生型の「桃太郎」が出てきて、少しずつ子供たちの間で身近なものになっていったと思われる。


  (一)(二)は「回春型(若返り型)」と「果生型」の二つの話をうまく組み合わせ、より面白くしたと思われる。

 子どもを対象に語られる時は、果生型をとっていたと考えられる。また、果生型ではなかったとしても、そのようなくだりは省略されて、子ども向けの説話として配慮されていたと考えられる。そして、現在よく知られている『桃太郎』になったのだろう。江戸期の文献でも次第に果生型のものが多くなっているのも、それが背景にあると思われる。



【『昔話桃太郎』以外での描かれ方】

◎黄表紙『桃太郎一代記』(二五丁 北尾政美画 天明元年《一七八一》刊 東京都立中央図書館加賀文庫・国会図書館・慶応大学図書館・大東急記念文庫・松浦史料博物館《一~五丁欠》蔵)

 子のないことを嘆く老夫婦の夢の中に、桃山の神が出てきてお告げをする。その次の日、言われたとおりに、爺は山へ芝刈りに、婆は川へ洗濯に行くと桃が流れてくる。その桃山の桃の味は格別で、桃を食べた夫婦はたちまち若くなり、婆は身ごもり男の子を出産する。その丈夫な子を桃太郎と名付けた。力強く育った桃太郎は両親に鬼が島に行くことを願う。きび団子を持って鬼が島へ向かう途中で犬・雉に会いお供にする。山道に入りかかったところで猿もお供にする。欲深い猿は、中でも大きなきび団子を選んだ。鬼退治をした桃太郎は鬼に手持ちの宝を残らず取り(鬼の虎のふんどし以外)、その上島を見物し(美しい鬼娘と遊んだり、遊女のところに遊びに行ったり)日本に帰る。桃太郎が宝物を見せると両親は大喜びする。村人たちにも疲労し、帝に献上する。桃太郎を生んだ頃の老夫婦80歳だったので107歳になるが、見た目はまだ50歳くらい。

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(図:17丁裏18丁表.18丁裏19丁表)


◎合巻『桃太郎』(十五丁 角書 赤本再興 式亭三馬作 歌川国丸画 文化九年《一八一一》刊国会図書館蔵)

 あるところに爺婆がおり、爺は山へ柴刈りに、婆は川へ洗濯に行っていた。川から大きな桃が二つ流れてきて、一つの桃を爺と半分ずつ食べると二人は若返った。米櫃に入れて置いたもう一つの桃からは男の子が誕生し、桃太郎と名付けた。その頃、鬼がたくさんの美女をさらい、人々を困らせていた。たくましく成長した桃太郎はきび団子を腰につけて鬼が島征伐へと向かう。その途中で出会った犬猿雉に出会いお供につける。鬼退治に成功した桃太郎は、山のような宝物と鬼から奪い、さらわれていた美女たちを解放し、村人から大変な感謝を受ける。

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(図:3丁裏4丁表)


◎合巻『桃太郎一代記』(十丁 歌川芳虎表紙画 一勇斎国芳画 楽亭西馬作 天保期《一八三〇~一八四三》刊か 名古屋市蓬左文庫・天理図書館蔵)

 あるところに爺婆がおり、爺は山へ柴刈りに、婆は川へ洗濯に行っていた。川から大きな桃が流れてきて、その桃を持ち帰って床の間に飾った。すると、その桃が二つに分かれて桃太郎が誕生する。その割れた桃を爺婆が食べると老夫婦は若返り二人して褒め合う。夫婦は鬼が島へ宝物を取りに行く桃太郎のためにきび団子をこしらえる。鬼が島へ行く道で、犬猿雉と出会い、きび団子を与えてお供にする。桃太郎は鬼退治に成功し、鬼たちに命乞いをされる。鬼たちはありったけの宝を桃太郎にさし上げ、その上その宝をかついで村まで運ぶという。村に帰ると夫婦は喜んだ。


【後日譚】

◎黄表紙『桃太郎後日譚』(恋川春町画 明誠堂喜三二作 安永六年《一七七七》刊 東京都立中央図書館加賀文庫・東京都立中央図書館東京誌料・国会図書館蔵)

 鬼ヶ島征伐に成功した桃太郎は、宝物を持ち、犬猿雉と心優しい白鬼を連れて村に帰ってくる。桃太郎は十六歳になったので元服したついでに白鬼も角を切り落とし元服し、名を鬼七とした。元服姿の似合う白鬼を見て猿も元服し、名を猿六と改めるが顔つきなどは猿のまま。元服した猿は、しつこくおふく(下女)に言いよるが悉く拒否される。おふくは鬼七に恋をし、手紙のやり取りをするようになり、やがて密通してしまう。その現場を猿六が見てしまい、奉公人同士が密通することは罪にあたるため告げ口をする。桃太郎は自分の恋が叶わないからといって告げ口をした猿六も同罪とした。桃太郎は罰として、金の出る小槌でおふくと鬼七に十両ずつ、猿には罪が軽いので二百文うちだし(矛盾するおかしさ)、同じく暇を出した。鬼七・おふく夫婦はそのお金で店を出店し幸せに暮らすが、白鬼の許嫁だと鬼ヶ島からやってきた鬼女姫が現れおふくは怒りのあまり角を生やし、蛇になる。二人の女に追われている白鬼は田舎寺に逃げ込む。「夫を殺しに行く」と言うおふくを鬼女姫は止めるが、猿六がおふくの手助けをして失敗する。鬼女姫はそこで自害してしまう。鬼七が寺の鐘の中に隠れている間、桃太郎が登場し、鬼七を殺しに行くおふくを切り殺し、猿六のことも踏み殺してしまった。最後に版元の鱗形屋が表れてあいさつをしている。


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(8丁裏9丁表.10丁裏)


◎黄表紙『桃太郎元服姿』(鳥居清長画 市場通笑作 安永八年《一七七九》刊 国会図書館蔵)

 桃太郎が鬼ヶ島で鬼を退治して帰った後、生き残った鬼たちは桃太郎を暗殺しようと鬼の中で最も美しい娘の鬼を桃太郎の家に召使として送り込んだ。しかし、娘の鬼は桃太郎と一緒に暮らしているうちに恋心を抱き暗殺をすることが出来ない。悩んだ娘の鬼は自ら命を絶ってしまう。それを知った桃太郎は、これ以降、鬼退治をしなくなった。



◎黄表紙『桃太郎再駈』(黄表紙 明誠堂喜三二 天明四年《一七八四》刊 鱗形屋孫兵衛板行)

 鬼征伐に成功した桃太郎は、隠れ蓑・隠れ笠・うちでの小槌を持って帰ってくる。小槌でたくさんの金銀を打ち出し、家は裕福になり夫婦も喜んだ。桃太郎は桃の夭蔵と改名した。夭蔵の父は、昔の困難も忘れ、隠れ蓑・隠れ笠を見世物にして相当な金儲けをし、浅草の奥山に見世物の土地を借りて金儲けに走った。母の方も、命の洗濯(苦労を慰める楽しみ事)をし、毎日のように芝居、舟遊山に出かけた。それを夭蔵は気の毒に思い、両親が留守にしている時に、とんだや霊蔵に宝物の偽物を作るように頼んだ。ここで、「父は奥山へ芝居がりに、母は浅草川へ命の洗濯に…」と本来の昔話桃太郎をもじった表現もある。

 夭蔵は父母に隠れ笠の妖精が現れたという作り話をし、それを信じた夫婦は使い物にならない宝物を見て嘆く。財産を持った夭蔵に対して霊蔵はある話を持ちかけ、鬼の住む里へ行くことになる。夫婦は、また夭蔵が宝物を持って帰ってくると思い、張り切り金の入ったきび団子を作る。夭蔵と霊蔵が鬼住む里へ向かう途中で、太鼓持ちの犬二郎、太鼓持ちの喜二郎、左次兵衛(猿)、と出会う。途中茶屋で夭蔵がきび団子を惣花として撒き、亭主や女将がそれを拾う。桃太郎は丁子屋のその花(遊女)を気に入り、身代金を払ってその花一行と様々な花嫁道具や本物の宝物と共に村に帰る。その後、その花と夭蔵の間に二代目桃太郎が誕生し、ますます夭蔵家は栄える。


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(2丁裏3丁表.9丁裏10丁表)



【まとめ】

 現存する江戸期の昔話絵本は、江戸中期から幕末にかけて数多く出版されたものだが、いつから出版され始めたのか、一体どれくらの種類の昔話絵本が出版されていたのかは詳細が残っていないために不明である。しかし、『昔話桃太郎』は確認されているものだけでも、これほど多くの作品があり、そして多くの人によって研究されている。

 現在の作品での桃太郎の誕生の仕方、人物像、ある程度の展開は固定されている。しかし、この昔話が口承伝承されていく過程で、語り手側も聞き手側も自分なりの解釈をして、語り継がれてきたため、その度に脚色が加えられ、今の『絵本桃太郎』は言わば、理想化された桃太郎がだと考えられる。江戸期の桃太郎作品は、一つ一つに作者の個性が出ている。多くの人に書き換えられたことや、「続編もの」を含め、発端話や戯作的なものまでに広がりを持ったことは、それだけ『桃太郎』が多くの人に愛読されてきた証拠だろう。

 成立当初は鎧を着て、りりしい若大将のように描かれていた桃太郎が、子ども向けの赤本や絵本になるにつれて、青年武士、少年武士、子ども武士となり、たくましさが消えて非常にかわいらしい姿になっている。桃太郎が鬼ヶ島を征服したついでに鬼ヶ島で遊女を買うような戯作的な大人な桃太郎の姿(『桃太郎一代記』)は消え、純粋に子ども向けになっていった。大人から子ども向けになりつつも、大人も楽しめるような工夫がされ、お馴染みのパロディーを用いることで読者の関心をひく作品が多く作られてきたが、明治大正となるにつれ、対象が子どもに特定されるようになった。さらにターゲットは低年齢化し、命がけで鬼ヶ島に行く力強く頼もしい桃太郎の姿はない。

 「続編もの」の『桃太郎後日譚』に関して言えば、白鬼を連れて帰ってくる物語の初めから、何の根拠もない作り話であることがわかる。下女のお福、猿は桃太郎に殺され、鬼女姫は自殺するという波乱万丈な展開になっているが、結末には鱗形屋が現れてあいさつをするという少しあっけなく、笑いを誘う結末になっている。桃太郎話からはかなり内容が脱線してしまうが、桃太郎話と繋がる軸を持ちつつ、ストーリーが展開されているところにまたおもしろさがある。読者はそのような意外な展開を楽しんでいたのだろう。


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『伽噺桃太郎』(絵:菱川師宣、明治期)

"MOMOTARO of Little Peaching"(ダヴィッド・タムソン訳:ちりめん本、明治18年)

「桃太郎」(巖谷小波『日本昔話』、明治27年)


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『昔話桃太郎『(東京女子師範学校編、明治29年)

『モモタロー』(金港堂、明治36年)

絵:太田三郎、巖谷小波・黒田湖山共著『桃太郎続話』(『日本昔噺続話』第一編、博文館、大正3年)

絵・作:堤作兵衛『教育画帖桃太郎』(青盛堂書店、大正8年)


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絵:斎藤五百枝、文:松村武雄「桃太郎」(『講談社の絵本』、昭和12年)

黒崎義介・画、浜田広介・文『ももたろう』(『小学館の児童絵本』小学館、昭和30年)

羽石光志・画『ももたろう』(『小学館の幼年絵本』小学館、昭和35年)

矢車涼・絵、二反長半・文『桃太郎』(『小学館こども絵本』、小学館、昭和35年)


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風間四郎・絵、岡本良雄・文『ももたろう』(『小学館の幼児絵本』小学館、昭和37年)

赤羽末吉・画、松居直・文『ももたろう(福音館、昭和40年)

絵・さいとうまり、構成:La Zoo(学習研究社、平成10年)

絵・宮尾岳、文・柳川茂『ももたろう』(『日本昔ばなしアニメ絵本、平成7年)

【参考資料】

書籍閲覧システム 最終閲覧日2013年5月20日

『江戸の子どもの本―赤本と寺子屋の世界―』叢の会、2006年4月28日、笠間書院

『近世子どもの絵本集(江戸編)』鈴木重三.木村八重子、1985年7月26日、岩波書店

『江戸の戯作絵本(一)』小池正胤,宇田敏彦,中山右尚,棚橋正博、1980年12月30日、社会思想社

『江戸期昔話絵本の研究と資料』内ヶ崎有里子、平成11年2月15日、三弥井書店

『桃太郎像の変容』滑川道夫、昭和56年3月9日、東京書籍株式会社

「近世桃太郎―その一~三」アン・ヘリング、平成2年、『日本古書通信』第728~730号

「黄表紙『桃太郎再駈』翻刻と注釈」中村正明、2012年3月『澁谷近世』(18)133-151