新田神社

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 多摩川左岸の東急玉川線矢口渡駅近くにある。祭神新田義興。江戸時代の称は新田明神社。義興は南北朝時代の武将新田義貞の第二子。「太平記」第三三によると、再起を目指して武蔵国に潜伏していた義興は、竹沢右京亮の奸計に乗せられ、延文三年(1358)十月鎌倉へ向かう途次の矢口渡で、畠山国清家臣の江戸遠近守高重らの謀計にかかって憤死した。しかしほどなく高重は義興の怨霊にたたられ落馬して絶命、また国清の夢にも義興が鬼となって現れる。そして夢を語り終えないうちににわかに雷火で入間河の在家や堂舎仏閣が灰燼に帰した。 当社はこの新田大明神の社と伝え、境外末社に義興の従者の霊を祀る十寄神社がある。



〈参考〉

『日本歴史地名大辞典 第13巻 東京都の地名』下中直人 平凡社(2002、7、10)