慧心僧都

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えしんそうづ


画題

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解説

画題辞典

彗心僧都、名は源信、本朝天台の名僧なり、父は卜部正親とて大和葛城郡の人なり。源信幼にして父を失い、叡山に上り、慈慧大師に事え、顕密両教を極めしも、壮年を過ぎて栄名を忌み、横川の慧心院に屏居して著作に従事す、慧心僧都というは之れが為めなり。深く浄土教に意を傾け、経論の要文を集め往生要集を撰し、寛和二年之を宋に送る。又好んで弥陀来迎の図を作り、弥陀の像を刻す。地獄変相の図の如きも慧心に始まるという。観心往生論以下著述五十余種あり、寛仁元年六月十日七十六歳を以て寂す。

(『画題辞典』斎藤隆三)