幸若舞

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こうわかまい


画題

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解説

東洋画題綜覧

舞曲の一種一に『さいわか』ともいひ、又『まいまい』ともいふ、扇拍子をとりて謡ひ舞ふもので、其曲節音声は猿楽の能と大同小異である、源義家の後裔桃井播磨守直常の孫、宮内少輔直詮の創めたもので、直詮の童名を幸若丸といひ、比叡山の児であつた頃、寺僧を慰める為め創めたものと伝ふ、其時代は明でないが、応仁別記に『石見太郎左衛門尉は三条殿に幸若舞のありし、終て群衆人々かへりに、辻切の様に山名殿よりぞ討せける』と見えたれば、足利義政の時には既に行はれてゐたことが知られる、降て江戸時代に及んでも寛文延宝あたりまで貴人の饗宴に用ひられたが、元禄の頃から能のみ行はれて幸若の舞は廃れてしまつた、幸若丸の末は、幸若八郎、九郎、幸若小八郎及幸若孫四郎三家に分れ三家とも相続ぎて越前に住み文政の末まで定時参府して舞曲を上覧に供してゐた、幸若の舞に伴ふ詞章を『舞の詞』又『舞の本』ともいふ。  (日本大百科辞典)

幸若舞は初期浮世絵によく見るが、鳥居清春の画くところがある。(大阪大和絵協会蔵)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)