山本勘助

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

総合

生没年未詳。戦国時代の武将・兵法家。武田二十四将の一人で、武田の五名臣の一人でもある。『甲陽軍鑑』によると、三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)出身とあり、武田信玄の伝説的軍師として講談などでも有名である。架空の人物ではないかとの説もあるが、近年発見された武田信玄書状に「山本菅介」と名があることから、実在した人物であるとの説が支配的である。

『甲陽軍艦』では、勘助の容姿について「散々夫男(ぶおとこ)にて、其上一眼、指も不叶(かなはず)、足はちんば」と伝えているが、元禄九年成立の松浦鎮信(天祥)の『武功雑記』によると、山本勘助は京流の兵法を使う三河者で口重の人とあり、独眼で片足不自由という記述は見られない。



・「歌舞伎登場人物事典」古井戸秀夫編 白水社 2006・5

・「日本説話伝説大事典」志村有弘・諏訪春雄編著 勉誠出版 2006・6

・「日本伝奇伝説大事典」乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵編 角川書店 1986・9   

・「日本架空伝承人名事典」大隅和雄[ほか]編 平凡社 2008・8