尾張連浜主

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おわりのむらじはまぬし


画題

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解説

東洋画題綜覧

伶人、仁明帝の時の人、嘗て伶人となり芸に巧なので外従五位に叙せられた、一日竜尾道上に於て舞を奏す、観る者幾千人なるを知らず、此の時浜主、年已に百十三、自から曰く『鮐背の耆老起居屈伸するに勝へず』と、然も舞位に就くに迨んでは、手の舞ふ所、足の踏む所、袖の翳す所、裾の飄す所、宛然として美少年の如く、四座皆曰く、近代未だ嘗て此の如き人はないと、共後、帝浜主を召して清涼殿の前に長寿楽を舞はしめた、所謂長寿楽とは浜主が作る処の舞の名である、舞ひ畢つて和歌を献じた。曰く

おきなとてわびやはをらむ草も木も栄ゆる時に出でて舞ひてむ

と、帝大に賞歎して御衣一襲を賜ふ。  (日本古今人物史)

これを図するものに、吉川霊華の作がある。(籾山半三郎氏旧蔵)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)