天草四郎

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あまくさしろう


画題

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解説

東洋画題綜覧

天草四郎時貞は、天草の乱の首魁、姓は渡辺、天草の生れなので天草四郎と呼んだ、幼時から人と変つてゐたので、住民神童と称して崇拝してゐた、寛永十四年十一月耶蘇教徒肥前島原に拠り、小西行長の臣、芦塚忠右衛門、千束善左衛門、森宗意軒等ここに匿れて乱を謀り、天草四郎を推戴して旗を挙げた、将軍家光関西の諸侯に命じて之を討たしめた、板倉重昌之を攻めたが、教徒四万、城に拠りよく之を防ぎニケ月に及んで抜くことが出来ない、家光更に松平信綱をして之に代らしめ、水野勝成之が副将となつた、重昌之を聞き激戦して遂に死し、信綱は勝成と共に糧道を絶つて遂に城を陥落せしめた、そして時貞ほか首脳悉く梟首せられた。  (大日本史、江戸政記)

時貞眉目清秀の美男子であつた為め、好個の画題として描かる、二三を挙ぐ、

無款天草四郎之図  大場多市氏蔵

野田九浦筆     第七回帝展出品

勝田哲筆      第十回帝展出品

森戸鐶次郎筆    第十回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)