大灯国師

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だいとうこくし


画題

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解説

東洋画題綜覧

大灯国師名は妙超、字は宗峰、俗姓は紀氏、播州揖西の人、京都紫野大徳寺の開山である。十一歳にして書写山の戒信律師に師事し落髪受具し内外の典籍を渉猟したが、後去て天下の諸禅師に歴参し相模万寿寺の高峰に謁し機語相契ふ、嘉元二年、大応国師に京都の韜光庵に参し国師が相模の万寿建長の諸寺に住するに及び、又之に随つた、其間修業之努め一日忽然として大悟した、時に歳廿六、尋で国師の衣法を承けて京都に帰り、洛東に遁居して修養二十年に及ぶ、嘉暦元年紫野に小庵を構ふるや参向するもの日に多く遂に禅刹となる、これが大徳寺である。花園天皇詔して宮に入らしめ、玄談時を移し、後醍醐天皇亦召して清涼殿に就て陞座説法をなさしめ金帛荘田を附し大徳の席斑を南禅寺に並べ且つ宸筆を賜ひ本朝無双禅苑といふ。曽て正平中南禅寺に住せしむるの詔命あつたが辞して受けず、尋で筑前に赴き崇福寺に住したが又大徳寺に帰つた、延元ニ年十二月二十二日入寂、年五十六、花園天皇特に興禅大灯国師の号を給ふ。  (本朝高僧伝其他)

大灯国師の画像頗る多い主な作左の如し。

京都大徳寺蔵 二幅 二点

京都妙心寺蔵 一幅 一点

なほ国師が五条橋下に乞食と座臥する中、宮中より好む処の甜瓜を与へられ召さるゝ処を画いたものに猪飼嘯谷筆『大灯国師』(第三回文展出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)