夜須礼花

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やすらいばな


画題

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解説

東洋画題綜覧

京都紫野なる今宮社の祭礼に歌ふ歌詞、此の祭をやすらひ祭といふ、古は三月十日に行はれたのであるが、今は四月十日に行はる、此日朝、桜椿の枝に幣を添へたのを本殿、摂社、若宮等に捧げ又八つの御膳とて楕円形の赤飯顆を折敷に盛つて本殿西の座に供へるこれより古風な行列をなし、『やすらひ花よ』と囃し踊つて社を廻るのである、『やすらひ花よ』といふのは、寂蓮の作といふ此の祭の歌曲に

紫野の根の国の神の社に花を奉る、其日はやすらにはてよ、やすらにはてよ

とある、此の『やすらにはてよ』が転訛したのであるといふ、此社は疫神を祀つたもので、牛頭天王といふ、そして花を捧げる祭儀は延喜式の鎮花祭に擬したものかといふ。此の祭の行装に就いては『百練抄』に

近衛院久寿元年四月近日京中児女、備風流調鼓笛参紫野社世号之夜須礼有勅禁止。

とある、その頃から始つたもので、元禄七年将軍綱吉の母桂昌院、社殿と共にこれを再興した。  (諸国図会年中行事大成)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)