地唄

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じうた


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歌舞伎

永禄五年(1562)にわが国に伝わったといわれる三味線は、その音色が良いためいろいろの唄い物に用いられたが、上方では盲人によって三味線伴奏の歌謡曲がうたわれ、江戸初期の柳川検校加賀都(かがのいち)がその形式をととのえたといわれる。これを江戸唄に対して上方唄とも土地の唄の意味で地唄ともいう。 のちに八重崎検校が箏で合奏することを始め、更に胡弓や尺八が伴奏に加えられた。富崎春昇(とみざきしゅんしょう)が元老といわれる。聞いて面白いものではないが琉球組などの組唄、山づくし・遊女の名寄せなどの長唄、雪・黒髪などの端唄、さらし・玉川・茶音頭などの手事物、石橋・鳥辺山などの芝居唄、三吉・紙治などの浄瑠璃物、あれ鼠・たぬきなどの作物(さくもの)に分れる。