呂洞賓

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りよどうひん


画題

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解説

画題辞典

支那の仙人、名に巖、字は洞賓、唐代蒲州永楽縣の人なり、母産褥に在るとき白鶴帳中に入りて復見ず、次いで生れたろを洞賓となす、生れて金形木質、道骨仙丰鶴頂象背、鳳眼天に朝し雙肩鬢に入るといふ.身長八尺二寸、喜んで華陽巾を頂き黄襴衫を衣る、初め廬山に遊び、火龍真人に火遁劒法を伝へられ、年六十二に及び、雲房先生に就きて度世術を求む、雲房之に十試して皆動せず、遂に其道を得て神通妙用隠顕変化を尽くし四百年に及び,四道人と称す。 牧渓筆(池田候爵所蔵)

雪村筆(益田男爵所蔵)

狩野探幽筆(大倉美術館所蔵)

同  (稲垣子爵所蔵)

円山應擧筆(京都幸野氏所蔵)その他、古くは如拙、元信の画あり、近くは橋本雅邦好んで筆にす。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那の仙人、名は巌、字は洞賓、蒲州永楽県の人、貞元十四年四月十四日の生れであるが、その生るゝ時、異香四辺に薫し何処からとなく天楽の響が聞え、折柄一羽の白鶴が室中に入り、帳に飛込んだと思ふと忽ち消えてしまつた、そして生れたのが呂洞賓である、その数奇を極めた生涯は、仙人中でも特異の存在として、古来よく画かれる、『列仙伝』の一節に曰く

呂巌字洞賓、唐蒲州永楽県人、祖渭礼部侍郎、父譲海州刺史、貞元十四年四月十四日已時生、因号純陽子、左眉一黒子、身長八尺二寸、喜頂華陽巾、衣黄襴衫、繋大皂縧状類張子房、二十不娶、始在襁褓、馬祖見之曰、此児骨相不凡、自是風塵外物、他時遇廬、則居見鐘則扣留心記取、後遊廬山過火竜真人、伝天道剣法、唐会昌中両挙進士不第時年六十四歳、遊長安酒肆見雲房先生先生携洞賓至終南鶴嶺、悉伝以上真秘訣云々、洞賓既得雲房之道、兼大竜真人天遁剣法、始遊江淮試霊剣、遂除蛟害、隠顕変化四百年、常遊湘潭岳鄂及両浙汴譙間、人莫知識自称回道人。

その仙術によつて蛟竜を伏する図や、鍾離権と会する図などよく画かる。

牧谿筆     呂洞賓鍾離権  池田侯爵家旧蔵

雪村筆    (重要美術品)  益田男爵家蔵

狩野探幽筆           大倉集古館旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)