南淵先生

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みなみぶちせんじょう


画題

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解説

東洋画題綜覧

大化改新の功労者、名は請安、応神天皇の後、その先は皇子稚淳毛二派に出づ、二派の皇子の子、佐芸王始めて姓南淵を賜ふ、是を南淵氏と祖となす、推古天皇の十六年、才子を選んで隋に遣はす、請安、高向玄理等と隋に入つて遊学し業成つて帰り経術を以て称せらる、王公大夫より皆敬して名をいはず、先生と称した、天智天皇、潜竜の時、鎌足と倶に其の家に就きて業を受けた、曰く、周孔の教を南淵先生の許に学ぶと、独り経学に通じてゐたばかりでなく、兼ねて文学にも達し、武にも通じ書百余巻を著はすといふが、今伝はつて居ない。

これを画いた作。

吉川霊華筆  『南淵先生』  望月政友氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)