千寿の前

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千手の前

鎌倉前期の白拍子。千寿とも。駿河国手越の長者の娘という。源頼朝の妻北条政子に侍する。寿永三年(1184)捕らえられ鎌倉に送られた平重衡は身柄を狩野宗茂に預けられたが、身の回りの世話をしたのが千手前であった。頼朝は重衡をただちには処刑せず、平家とまだ戦闘継続中で、政治的取引に利用しようと考えていたので、家臣の藤原邦通、工藤祐経らに酒肴を差し入れさせて重衡を慰めた。この時、千手前は琵琶を弾き、祐経は鼓を打ち今様をうたい、重衡は笛を吹いて興じたという。宴はてたのちも重衡は千手前を引きとめて、「燭暗うして数行虞氏の涙深うしては四面楚歌」と詠じた。その翌年、重衡は奈良に送られ、木津川の辺りで斬られた。千手前はその後も政子に仕えていたが、文治四年(1188)四月二十日、突然気を失い、二十五日死没した。二十四歳であった。『吾妻鏡』は、重衡への恋愛の思いやまず、これが千手前の早世の原因であろうという人々の噂を記している。信濃国善光寺で重衡の菩提を弔い、その三年忌に尼になったという所伝もあるが、『吾妻鏡』の記述を信ずべきであろう。 『日本女性人名辞典』 日本図書センター 1993年

『四部本』は千寿の母を鎌田政清ゆかりの鏡の宿の遊女千鶴とする。『南都異本』は白河の関の君の娘とする。 『平家物語全注釈』下巻(一) 富倉徳次郎 角川書店 1967年