北野天神

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きたのてんじん


画題

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解説

画題辞典

北野天神は菅原道実を祀る社にして、京都北野にあり。天満大自在天神の号あり、初め菅公配処に薨して後、延喜中京都に於て屡々雷電霹靂の変禍あり、世以て菅公の祟となし、朝廷之に火雷天神の号を賜う。朱雀天皇の天慶五年、右京七条坊の人某神託を蒙りて小詞を家辺に建て、村上天皇の天暦元年之を北野に遷す、一条天皇の時大に神殿を修め、勅して北野祭を行う、尋いて二十二社の一に挙げらる。爾来諸国天神社の頻りに建てらるゝに及び、その宗社と崇めらる。今官幣中社たり、北野天神縁起九巻は藤原信実の作にて世に最も有名なるものなり。又別に土佐行光筆及土佐光信筆の天満縁起絵巻あり、何れも北野神社の所蔵にして国宝なり。東京帝室博物館には筆者不明鎌倉時代の絵巻残闕あり。

北野天神根本縁起伝藤原信実筆、九巻、国宝。北野天神縁起伝土佐行光筆、二巻、国宝。北野天神縁起外題後柏原天皇土佐光信筆、三巻、国宝。北野曼荼羅、一幅。北野天神画像、一幅。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

京都名所の一つ、北野とは大内の北にあたるのでかく名付くと、天満宮は今官幣中社に列せられ現社宇は慶長年間に造営する処、輪奐の美と結構の雄大荘厳とを以て聞えてゐる、特別保護建造物である。

天慶三年七月菅霊右京七条の文子といふものに御託宜ありて、北野右近の馬場に棲との給ふ、又近江国比良社の祢宜良種に託し給ひけるは、大内の北野に一夜に千本の松を生ぜん、社をば天満天神と崇むべしとなり、こゝに於て朝日寺の僧最珍、右京の文子等と力を合せ霊祠を作り、天徳三年右大臣師輔なほも神威をうやまひ、巍々たる大廈をあらためいとなみ給ふ、今の北野宮是なり、一条院の御宇正暦四年五月に勅使を宰府の安楽寺につかはし、太政大臣正一位を贈り給へり、末社に船の宮といふは彼の一夜の松なり、此祠に神秘のつたへありとかや。  (都名所図会)

北野天神の縁起を画いたものには、有名な『北野天神縁起絵巻』がある。同社の宝物として蔵されてゐるものに、左の諸作がある。

伝藤原信実筆  (詞書後京極摂政)  八巻

土佐行光筆   (詞書世尊寺行忠)  二巻

土佐光信筆   (詞書三条西実隆)  三巻

その神社を描いたものに近く左の作がある。

浅野鶴汀筆  『北野』  第十回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)