助六

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すけろく(Sukeroku)


総合

正徳3年(1713)4月江戸山村座で二代目市川団十郎が初演。「花館愛護若」すけろく


画題

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解説

画題辞典

演劇上の仮想人物にして、市川家歌舞伎十八番の一なり、新吉原三浦屋の名妓揚巻が情夫にて、闊達壮快豪侠にして、且つ酒脱なるは其性格の概観とす、実に江戸時代中頃の江戸児の理想の表現たるべし、河東節につれて登場す、その扮装は魚葉牡丹の加賀紋付けたる黒羽二重に紅の裾廻はしたるに、浅黄無垢を重ねて着用し、紫縮緬の鉢巻して、一刀一つ印籠に尺八を腰に指し、蛇の目の傘を手にす、鳥居流の芝居絵は素より浮世絵各派に於て画かるゝもの甚だ少しとせず。事実に於ける助六なるものは、大阪に於て揚巻と心中せるものあり、亦上方狂言として時に上場さるゝことあるも世に多く流布せず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

花川戸助六といふ、実在の人物ではなく歌舞伎劇に仕組まれ、市川家『歌舞伎十八番』の一として人口に膾炙さる、三浦屋揚巻の情夫で豪快活達、髯の意久と達引く、江戸時代に於ける江戸ッ児気質を具体化したるものといふべく、九世市川団十郎これを得意とし、外題を『所縁江戸桜』といひ、扮装は杏葉牡丹の加賀紋つけた黒羽二重に紅の裾廻し浅黄無垢を重ねて着、紫縮緬の鉢巻、一刀一つ印籠、尺八を腰に指し蛇の目を手にし剥身隈の拵らへ、河東節につれて登場す、尾上家にもこれに倣ひ『助六曲輪菊』といふのがある、紋が杏葉菊であること、地が清元節であることが違つてゐる。

春霞、立てるやいづこみ吉野の、山口三浦うら/\と、うらわか草や初花に、やはらぐ土手を誰がいふて、日本めでたき国の名の豊葦原や吉原に、根こして植ゑし江戸紫、匂ふ夕ベの風につれ、鐘は上野か浅草か、其名を伝ふ花川戸、をちこち人の呼子鳥、いまにはあらぬあふ瀬より、爰をうき世の仲の町、よしや交せしこし方を思ひ出みせやすが搔の、ねじめのばちに招かれて、夫といはねどかほよ鳥、間夫の名取の草の花、思ひ初めたるいつところ、紋日待日のよすがさへ、子どもがたより待合の、辻占茶屋にぬれてゐる、雨のみの輪のさえかへる、此鉢巻は過ぎし頃、ゆかりの筋の紫も、君が許しの色見えて、うつりかはらで常磐木の、松のはけさき、すき額、提八町風さそふ、めあての柳花の雪、傘に積りし山あひは、富士と筑波をかざし草、くさに音せぬ塗花緒、一つ印籠一つまへ、せくなせきやるな浮世は車、めぐる日並の約束に、まがきへ立て音づれも、果ては口舌がありふれた手管に落ちてむつごとゝ、なりふり床し君ゆかし、しんぞ命をあげ巻の、是助六がまへわたり、風情なりける次第なり。  (河東節助六)

助六は古来、浮世絵また劇画として画かるゝもの極めて多い。

奥村政信筆  『助六図』  浮世絵綜合展出品

勝川春章筆         同

鳥居清信筆         松方幸次郎旧蔵

などあり、現代では鏑木清方、木村荘八、鳥居清忠にその作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)