兼好法師

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けんこうほうし


画題

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解説

東洋画題綜覧

文学者にして歌人、『徒然草』の著者としてあらはる、姓は吉田、山城吉田社の祠官乗顕の三男、兄を大僧正慈遍と云ふ、兼好幼にして聡悟、好んで書を読み和歌に巧みで書も美事であつた、後宇多天皇に仕へて左兵衛尉となり、正中年中天皇崩ずるに及び哀悼の余剃髪し修学院に入る、後ち木曽に遊んで其の山水を愛し霧原山に庵を結んでゐると、一日国守多勢を具して猟に来たので、兼好

ここもまた浮世なりけり余所ながら思ひしままの山里もがな

と一首を詠じて再び京都に帰り歌を詠じて自ら娯しんでゐた、当時の公卿大夫皆その人となりを愛して交り遊ぶもの多く、当時、頓阿、浄弁、慶運と共に和歌の四天王と称せられた。『太平記』には高師直の艶書を代筆して塩谷高貞の妻に送つたと記してゐるが、一説には当時兼好都に居らずといひ、又一説には兼好平常南朝に心を寄せてゐたので北朝の将士の間に隙を生ぜしめん計略であつたともいふ、真偽は定め難い、晩年葬地を京都双岡に卜して桜を栽ゑ、一首を詠じていふ

契りおく花とならびの岡のへにあはれ幾世の春をすぐさむ

と、正平五年二月病死す、年六十八。  (大日本史兼好法師伝記考証)

兼好法師を画いたものに左の作がある

久隅守景筆  (俊成長明三幅対)  川崎男爵家旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)