倭寇

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わこう


画題

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解説

東洋画題綜覧

倭寇とは明で我が海賊を呼んだ名である、王朝の末頃から志を得ない武士の果など海賊となつて瀬戸内海辺を横行してゐたが吉野時代になつて愈々勢猛となり、中にも伊予住人村上三郎左衛門義弘、近海の海賊を統一してその首領となり勢を揮ひ、義弘の歿後は北畠顕家の子師清之に代り中国西海の海賊を率ひて北は朝鮮海岸から南は廈門、台湾に亘り威を揮つた、その船には八幡宮の旗を押立てゝ居たので朝鮮や明では八幡船〈はばんせん〉と称してこれを怖るゝこと甚だしく、室町時代には屡々使を遣しては之が鎮圧を懇請した、然しその勢は毫も衰えず南国にまで勢を伸ばした、倭寇は斯く海賊船ではあつたが、一面には盛に外国と往来して貿易を営み大東亜海を我が庭の如く𤄃歩したのであつた。

倭寇を画いた作。

前田青邨筆  海軍館壁画

伊藤竜涯筆  第十四回帝展出品

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)