五百羅漢

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ごひゃくらかん


画題

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解説

画題辞典

仏滅後第一結集を催ふしたる時、来会せる無学果の声聞五百人の称なり、大迦葉実に之れが上首たりという。その画、各巨刹に蔵する所のもの多きが中にも世に知られたる名品左の如し。

京都東福寺所蔵四十五幅(伝明兆筆)、京都大徳寺所蔵八十二幅(宋林庭珪、周季常等筆)、鎌倉円覚寺所蔵(伝明兆筆)、東京増上寺には狩野文信の筆に成るもの、宇治万福寺には池大雅の筆に成るものあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

らかん「羅漢」の項を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


仏滅後、第一の経典結集の際、王舎城に集つた仏弟子は大迦葉を上首とした五百の阿羅漢僧であり、更に迦膩色迦王の第四結集の際、これに参して大毘婆娑論を作つたのも亦、脇尊者を上首として五百の羅漢であつたといふ。

五百羅漢の画に描かれたのは何時の頃か判全しないが、支那では既に北宋の初めに存在してゐたといふ、日本にもこれが伝はつて、絵画にも彫刻にも現はれてゐる。

主なもの左の通りである。

伝明兆筆        四十五幅(国宝)   京都東福寺蔵

宋林庭珪、周季常等筆  八十二幅       京都大徳寺蔵

伝明兆筆        三十三幅       鎌倉円覚寺蔵

狩野文信筆                  東京増上寺蔵

池大雅筆                   山城宇治万福寺蔵      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)